… … …(記事全文2,901文字)日本の「お風呂」変遷史~これで貴方のもお風呂通~
少し前に『江戸の冬』という記事を書き、銭湯に行ってみたくなったと書いたため、約束を果たすため、本日は、地元の銭湯に行ってきた。
だから、今回は「お風呂」変遷史について書いてみたいと思う。
よく言われる話が、鎌倉時代までは蒸し風呂だったという話を聞く。
しかし、天然の温泉のある日本で、それだけのはずはありえない。
風呂は縄文時代から続く文化だったはずだが、温泉地から遠い場所に住むことが多くなり、仕方なく蒸し風呂で我慢したというのが実際のところだ。
時代を追って説明すると
縄文時代は温泉のあるところは温泉で、それ以外は川で体を洗っていたと言われている。
弥生時代から古墳時代には、蒸し風呂が誕生したようだ。纒向遺跡(奈良)などで石を熱して蒸気で温まる施設が発見されているが、貴族・豪族専用だったようだ。つまり、庶民は、川か井戸水で体を拭くだけだったと推定されている。
しかし、奈良・平安時代になると東大寺・興福寺などに『七湯(しちとう)』が誕生する。『七湯』とは、平安時代初期に編纂された『東大寺要録』『興福寺別当次第』などに記録されている、奈良時代の寺院が運営していた7つの公衆浴場(湯屋)のことだ。熱した石に水をかけて蒸気で温まる蒸し風呂と、一部では湯を体に掛ける行水が行われていたという。
7つの種類の湯屋があるから、『七湯』と呼ばれ、僧侶専用、病人専用、貧民専用、参拝者専用、女性専用など種類が分かれていた。
残念ながら現存する建物はないが、『七湯』の1つ東大寺の『大湯屋』は江戸時代に再建され重要文化財として残っている。ただ、奈良時代の『七湯』の『大湯屋』とは別物だ。残念ながら奈良時代の大湯は跡形も残っていない。
再建された東大寺の『大湯屋』
『大湯屋』の鉄湯舟
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