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難民条約の真相に迫る!~難民条約の真相と歴史的経緯・難民と移民の違い・自称難民問題~
日本では、あまり馴染みのない難民について述べる。そもそも、移民と難民は異なる。簡単に違いを説明すると
移民:生活のために自分の意思で来た人
難民:迫害等の恐怖から逃れるために来た人
という違いがある。
だから、移民を止める事は、受け入れる側の国が停止する意志さえあれば可能なのだ。しかし、難民は、そうはいかない。その理由は、『難民条約』にある。この条約には、ほぼ全ての国が加盟している。詳しく説明すると『難民条約』には2種類ある。
①1951年に採択された「難民の地位に関する条約」
②1967年に採択された「難民の地位に関する議定書」
の2つだ。
下記の図のように、ほぼ世界中の国々が2つの難民条約に加盟している。アメリカとベネズエラだけが、②にしか加盟していない。アメリカは、かつては非常に保守的な国だったのだ。そんなアメリカも、今は国内法で①の条約に準じて行動する事を定めており、実質的に①②両方の条約に従っているという状態ではある。wiki:難民の地位に関する条約よりこれほど世界中の国々が加盟する条約に、日本だけ加盟しない訳にはいかない事は察する事はできるだろう。しかし、なぜ、世界は難民をここまで大切にしようと思うに至ったかを知る必要がある。普通なら難民を一時的に預かって、やがては自国に送り返そうという発想があってもいいものだが、なぜか受け入れる方向で世界は動いた。
なぜか?
それを知るため、まず難民の歴史を学んでいこう。
日本は難民と、それほど縁のない歴史を歩んできた。それは海に囲まれた島国であるからだ。ヨーロッパでは、そうはいかない。ヨーロッパは戦争の度に難民が発生する地域だ。陸続きである故の、避けられない出来事だった。例えば、1936年~1939年に、スペイン内戦が発生した。スペイン内戦とは、スペイン国内が『左派系の共和国派』と『右派系の民族独立派』が対立し戦った戦争だった。
ソ連などは、『左派系の共和国派』を支援、
ドイツ、イタリア、ポルトガルは、『右派系の民族独立派』を支援した。
そして、『右派系の民族独立派』が勝利したのだが、敗北した『左派系の共和国派』が国内で迫害され、30万人前後のスペイン人難民がフランスに移動したのだ。アフリカや中東からの難民ではなく、ヨーロッパ内部で難民が、ヨーロッパ内での戦争の度に発生していたのだ。
また、スペイン内戦が終了した1939年に、今度は第二次世界大戦がはじまる。この大戦で、ヨーロッパ内は戦争となり、更に難民を発生させた。
とりわけ、ヨーロッパ各地に住んでいた100万人ほどのユダヤ人がヨーロッパで逃げ場を失ってしまう。ユダヤ人を何とかしようという動きもあったのだが、ナチスに応じる気がなかったことと、国際社会も戦争中だったため、難民にかまっていられなかったのが実情だ。そして、第二次大戦が更に進むと
・ドイツによるフランス侵攻で500万人の民間人が逃避
・フランスにいた上述のスペイン内戦難民も行き場を失う
・フランス政府は、上述の約30万人のスペイン内戦難民を北アフリカに追放
・スターリンはドイツ系、ポーランド系、クリミアタタール系、チェチェン系、イングーシ系など、何百万人もの民間人をシベリアや中央アジアに強制退去
などが発生した。
これなどは大きな難民の出来事であり、もっと小さな難民に関するできごとは数えきれないほど沢山あった。
例えば、
・1941年の冬、赤十字の協力で、数千人のギリシア人の子供をインドに避難
・2万人のギリシア人難民を中東に移送
・ギリシア人難民2700人をコンゴへ、1,000人をエチオピアに移送
こうして、第二次世界大戦中に、ヨーロッパだけで2000万人の難民が発生した。この難民の数も諸説あり、第二次世界大戦で世界中で6000万人の難民が発生したとする説もある。ただし、ヨーロッパ内だけならば、2000万人ぐらいが妥当な数字だ。この点に関しては、下記サイトに詳しい情報があったので引用として掲載しておく。
『1943年春には、各亡命政府と王立国際問題研究所(Royal Institute of International Affairs)から供給された情報に基づき、『避難民問題に関する統計文書(Statistical Statement on the Problem of Displaced Persons)』をまとめている。その推計によると、難民の数は約1,250万人とされているが、この数値には戦時中に東に向かったソ連国民の移動が含まれておらず、ロシア人人口統計学者エフゲニー・クリシェル(Eugene Kulischer)がその数を1,000万人と見積もっていることから、難民の総数はヨーロッパだけで約2,250万人にのぼったことになる。』
※『第二次世界大戦期 難民・強制移動関係文書集について』より
『ヨーロッパの故郷を追われた人々:避難民の移転』より
Europe' s Uprooted People. September, 1944-April 19, 1945. MS Refugee Records from the General Correspondence Files of the Political Departments of the Foreign Office, Record Group 371, 1938-1950 FO_371_42836_WR1346. The National Archives (Kew, United Kingdom). Refugees, Relief, and Resettlement: Forced Migration and World War II.
ヨーロッパ内で発生して難民の種類や人数を表している。
そして、ヨーロッパ中に、ヨーロッパ内で発生した白人系の難民が溢れる中、1945年に、ヨーロッパで第二次世界大戦は終了し、戦後、難民問題への反省を込めて作られたのが、
①1951年に採択された「難民の地位に関する条約」
だった。だから、この条約は、ヨーロッパ人難民のための条約だったのだ。その証拠に、この条約は『難民条約には1951年1月1日以前に生じた事象の結果として生じた難民のみに対して適用される』という制約を設けていたのだ。
しかし、これは真相ではない。
『反省』だけで、この条約を作ったはずがない。
真相は下記の通りだ。
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