… … …(記事全文6,192文字)叔母の死からなにを学ぶべきか
叔母が症状を自覚し始めたのは2026年2月頃だった。その頃はまだ昼カラオケやマージャンを楽しむ余力があった。しかし、お友だちによると、叔母は「最近、食欲がないんだ」と漏らしていた。「ちょっと痩せたんじゃない? 病院へ行ったほうがいいよ」と周りから言われていたという。
市民病院で「ステージⅣのがん」と診断されたのが3月11日。それからちょうど3ヵ月後の6月11日に亡くなった。今年の正月には、まさかこんなに早く自分の命が尽きるとは、叔母自身も想像もしていなかったに違いない。
だが、日が進むにつれて体が蝕まれて行き、歩けなくなって、食べられなくなった。いつ頃かは分からないが、どこかの時点で、死が避けられないことを自覚せざるを得なくなったはずだ。「近いうちに死ぬ」。その事実を、叔母はどんな気持ちで受け止めたのだろう。私たちの前では努めて明るく振舞っていたが、独りのときや夜の暗闇の中で、心の葛藤と闘っていたに違いない。
実際、面倒を見始めた当初、電話で話しているときに叔母が、「なんでこんな病気になっちゃたのかねぇ。去年の健診では健康優良児だったのに…」と嘆いたことがあった。「日本人の3人に1人はがんになるから、珍しいことではないよ。それに歳を取るほどがんになりやすいから、それだけおばちゃんも長生きしたということだよ」とはぐらかすように答えたが、叔母も死に至る病に冒されたことを悔しく思っていたのだろう。
「なんで私が末期がんになったのか」
「まさか、姉より早く死ぬことになるなんて」
「まだまだやりたいことがあったのに」
本当は心の中で、そんなことを思っていたのかもしれない。「脚さえなんとかなればなぁ」と何度も悔しがり、「今年もKちゃん(私の母)のところへ行こうと思っていたのに」と残念がっていた。自分で腕や肩を触りながら、「こんなに痩せて…。骨と皮になってしまったわ」と嘆いたこともあった。自分が近いうちに死ぬと分かって、悔しく思わない人や不安に感じない人はいないと思う。
だが、叔母が取り乱すことは一切なかった。背中の激痛に襲われたことはあったが、ロキソニンを飲みだしてから、「痛い」ともほとんど言わなくなった。「苦しい」「眠れない」「怖い」などと、不安がることもなかった。それが、看病する母と私にとっては救いだった。
叔母の本心はわからない。しかし、私たちに感情をぶつけて困らせることはなく、粛々と、自分の運命を受け入れていったように感じた。その姿は、とても凛としていた。命が尽きる最期まで、本当に立派な人だった。
なぜ、叔母は取り乱さなかったのか。それは「命に執着しなかった」からではないだろうか。私には、そう思われるのだ。

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