… … …(記事全文5,993文字)ホスピスで亡くなった叔母を見送った後、私と母はホテルへ戻って、いったん休憩することにした。叔母が深夜に亡くなったので、二人とも短時間しか眠っていない。なので、少しでも睡眠を取る必要があった。
だが、本人が亡くなったからといって、なかなか休むことはできなかった。午前10時に葬儀社の担当者から「打ち合わせをしたい」と電話がかかってきた。本当は明日にしてほしかったが、できれば今日のうちにやりたいという。
仕方がないので、お昼過ぎまでホテルで休憩した後、母を連れ立って午後14時に叔母が安置されている家族葬会場へ向かった。到着すると担当者が待っていてくれて、まずは叔母が眠っている安置室へ案内してくれた。
部屋に入ると、そこには業務用の冷蔵庫のような装置があった。2段になっており、下の段に叔母が安置されている。担当者がロックを外して扉を開けると、ひんやりとした空気が流れ出て、冷え切った叔母の姿が現れた。
担当者が顔にかぶせられた布を外す。叔母は目を閉じていたが、口は半開きの状態だった。白装束を着せられて、その上に真っ白な布がかぶせられていた。担当者に促されて、造花の一束を形式的に手向け、母と共に手を合わせて冥福を祈った。
腐敗を防ぐために十分に冷却されているはずだが、叔母の体から強くはないものの独特の臭気が漂っていた。昔、某国立大学で法医学の解剖室を取材させてもらった際に、なんとなく漂っていた臭気に似ている。「少し匂いますね。お葬式まで叔母の体が持てばいいのですが…。腐敗が進んで、お葬式の当日に姿が変わってしまったり、臭いがきつくなったりしないか心配です」
そうたずねると、担当者はこう答えた。
「腹水のあった方は臭いが出てくることがあります。腐敗が進まないよう、最適の温度で安置させていただいていますが、100%大丈夫とは言い切れません。お葬式まで日数がかかると、ご遺体の様子が変わってしまうこともあります。そうならないよう、私たちも最善を尽くしますが、その点はご理解いただけますと幸いです」
叔母も、あまりにも変わり果てた姿をお友だちに見られるのは嫌だろう。そうならないよう、とにかく早目にお葬式を上げたい。
だが、3日後の6月14日(日)に東京の代々木八幡で、私が発起人を務める「ワクチン問題を考える市民の会」の講演会があった。ウイルス学者の宮沢孝幸さんがメーンの講演会だが、私も司会や補足講演をすることになっている。したがって、日曜日は外してもらうしかない。
「できれば、13日土曜日か15日月曜日にお葬式を上げたいのですが」
そう希望を伝えると、担当者は火葬する予定の南多摩斎場のサイトを調べてくれた。だが、両日とも空きはなく、「最短で16日火曜日となります」との回答だった。亡くなってから5日後になる。叔母の体が持つのか心配だったが、致し方ない。
お通夜は省略し、お坊さんも呼ばず、無宗教形式で1日葬とした。母と相談して私が喪主を務めることになったが、何人くらい参列するかを予想した上で、香典返しやお礼状の数を決めなくてはならない。最後のカラオケのときに20人ほど来てくれたので、多くて30人と想定して進めてもらうことにした。
さらに、祭壇の花の飾り方や色合い、棺や骨壺の種類、霊柩車のタイプまで選ばねばならない。司会進行役となるスタッフの人件費もプラスする必要があるという。オプションが増えると、そのぶん費用も嵩んでいく。最終的に、葬儀の見積もりは80万円超となった。かなりシンプルなお葬式にしたつもりだが、それでもこれだけかかるのだ。幸いなことに、叔母はある程度お金を持っていたが、蓄えのない人はお葬式を上げるのも大変だろう。
遺影は、叔母が演歌歌手のような出で立ちの和服を着た写真から、顔だけトリミングして引き延ばしてもらうことにした。A4サイズのものを額に入れて部屋に飾っていたので、叔母も気に入っていたのだろう。ただ、額から出してみると、ペラペラの紙だった。パソコンに取り込んで、プリントアウトしたものと思われた。解像度が心配だったが、担当者によるときれいに拡大できるという。眉の上に変な線があったが、それもパソコンで修正できるとのことだった。

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