… … …(記事全文8,602文字)6月9日、新幹線で12時37分に到着すると連絡のあった母を新横浜へ迎えに行った。「東口の改札で待ってます」と、わざわざ写真付きでLINEをしたのに、母はなかなか現れず、10分ほどして改札とは別方向から歩いて現れた。87歳と高齢なだけに少し心配をしたが、無事に落ち合うことができて、ほっとした。
叔母の待つホスピスへ向かう道すがら、私は母に「叔母の前で深刻な顔はしないで、昔の思い出とか、楽しい話をしたほうがいい」と助言した。介護で疲れ切った母の顔を見るのは嫌だと叔母が話していたからだ。母も「もう体の調子はよくなったから大丈夫。それに峰ちゃんと1ヵ月一緒に暮らして、十分話すことができたから覚悟はできている」と、憂いのないすっきりした表情で答えた。
30分ほどでホスピスに到着した。母にとって初めての場所だ。叔母の部屋へ案内すると、母はまっすぐベッドサイドへ歩いていった。
「峰ちゃん…」
やせ細った手を握り、母が声をかける。叔母は薄目を開けて母の方へ向き、弱々しく声を発した。呂律が回らず、聴き取りづらいが、「わざわざ来てくれたの?」と言っているのが分かった。そして、自分のほうが大変な状況にあるにもかかわらず、「体は大丈夫?」と母の体調を真っ先に気づかった。
「もう大丈夫よ。ゆっくり休んだから。安心してね」と母は答えた。昨晩、母が来ると伝えたときには、「来なくていいと言っといて」と顔をしかめながら話していた叔母だったが、母の顔を見て明らかに安心して、嬉しそうな様子だった。
ホスピスに入る前は、「口だけは元気」と笑うほど、よくしゃべった叔母だった。しかし、もう快活に会話できる体力は残っていなかった。母も、「しんどいだろうから、無理してしゃべらなくていいからね」と叔母のことを気づかった。叔母もつらそうな表情で、「体が熱い」と誰にともなく漏らした。
しきりにそう訴えるようになったのは、2、3日前からだった。終末期になると腫瘍が炎症で熱をもったり、体温調節機能の低下、循環不全、脱水症状などの影響で、体のほてりを感じる人が少なくないそうだ。しきりに熱がって、裸になろうとする人もいると、在宅医が書いた本で読んだことがある。
不思議なことに体温は平熱なのだが、叔母も浴衣の胸を自分で肌けてしまうほど熱がった。私が不織布の冷感シートを買って持っていくと、それで胸やお腹を拭いたり、顔を覆ったりした。そして、ひとしきり使うと自分できれいに畳んで、電動ベッドの手すりにひっかけた。終末期を迎えても、叔母の几帳面な性格が現れていた。
肌けた浴衣から見える叔母の胸は、あばら骨がごつごつと浮き出ていた。これを書くと叔母は嫌がるかもしれないが、乳房までなくなり、真っ平になっていた。がんがエネルギーを奪うために体中の筋肉や脂肪を溶かしてしまったことを、その胸の姿が残酷に物語っていた。
とにかく叔母が熱がるので、母も新しい冷感シートを出して、一緒に体を拭いてあげた。しかし、しばらくやっていると、叔母が「もういい」といったふうに、母の手を振り払った。そして、動かなくなったかと思うと、口を開けて寝息を立て始める。叔母はそのパターンを繰り返すようになった。

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