… … …(記事全文6,167文字)2026年4月14日、弟と会うのは何年ぶりだろう。親父の葬式以来だから6年ぶりか──そんなことを考えながら、迎えの車を走らせた。
羽田空港第二ターミナルの車寄せで待っていた弟は、相変わらず痩せていて、6年分老けていた。身長が163センチしかない私と違って、170センチを超えているので、細長くてカッコよく見える。同じ親から生まれたはずなのに、Gジャンの似合う背の高さがうらやましい。
兄弟一緒に西宮で育ったが、今は九州の離島に住んでいる。久しぶりの気恥ずかしさもあって、会話はあまり弾まなかったが、高速道路で叔母の家に向かう途中、「島では見んような高級車ばっかり走ってるわ」と、弟は久しぶりに見る都会の景色にわざとらしく興奮していた。
叔母の家に到着して、弟とともにリビングへ入る。いつもの椅子に座っていた叔母は、弟の姿を見つけると「まぁ、お孫ちゃん連れてきてくれたの? 大きくなったねぇ」と喜んだ。一瞬、私の高校生の次男と間違えたようだ。「違うよ。Aだよ。もう57歳やで」と私が笑うと、
「あらぁ、Aくん来てくれたの? わざわざ遠くから! まさか来ると思わなかったから、ほんとびっくりした!」と、殊の外喜んでくれた。
サプライズにしようと、母に黙っているように伝えておいてよかった。弟が叔母の顔を見て口を開く。
「病気やと聞いて心配してきたけど、口だけは元気そうやなぁ」
「そうなのよ。脚は動かないけど、口だけはよく動くのよ」
リビングが、笑い声に包まれた。そこに悲壮感はなく、叔母も病気を忘れて、楽しそうだ。久しぶりに家族が集合して、母もニコニコしている。親孝行と叔母孝行が同時にできた。弟が来てくれて、ほんとうによかった。
あともうちょっとで、在宅クリニックの医師が来てくれるはずだ。申し込みから5日後、市民病院が診療情報提供書を発行し、すぐ在宅クリニックへファックスしてくれたおかげで、思ったより早く初診の日を迎えることができた。
15時少し前、訪問看護師が先に家に来てくれた。調子を聞いてくれたりバイタルを測ったりしながら医師の到着を待ったが、時間になってもなかなか来ない。ドアを出て3階から下をのぞいてみたが、予定時刻を30分過ぎても姿が見えない。迷っているかもしれないと思い、クリニックに電話してみると、前の診療が長引いて、今向かっているとのこと。丁寧に診ているのだろう。致し方ない。
それから10分ほど過ぎて、白衣を着た男性医師がようやく到着した。若い女性の看護師と男性の記録係も同行している。ドアの前の廊下で待っていると急ぎ足で近寄って、開口一番、「遅れてしまって、申し訳ございません」と詫びてくれた。40代か50代の、とても優しそうな人だ。リビングに入ると、椅子に座る叔母の前に正座して、名刺を差し出しながらこう言った。
「今日からNさん(叔母の名字)を診させていただく、医師のKです。Nさんの病気を治すのは難しいですが、一日でもいい状態が続くように努めますので、よろしくお願いします」
「まぁ、〇〇さんとおっしゃるんですね。お名前に『金』の字が入っていますね。私、お金大好き」
叔母がそう軽口を叩くと、K医師も「そうなんです、私も大好きです」と返し、その場にいた人がみんな笑った。一気にリビングが和やかな雰囲気になる。
「いつから、どんな症状が出てきたんですか?」
叔母や私に質問をしながら、ひと通り経過を確認した後、「ちょっと、お体を診させていただいていいですか?」と言って、医師は胸に聴診器を当てた。さらに、お腹を触診して、脚の状態も確認したうえで、あらためて病状を説明してくれた。
「市民病院でCT画像を見ておられると思いますが、肺と肝臓に大きな腫瘍があって、背中の胸骨と腰椎、それから仙骨にも腫瘍があります。背中が痛いのは、胸骨に転移があるからかもしれませんね。今、痛みはどうですか?」
「左手を伸ばして何か取ろうとしたら、ピリピリっとすることがあるけど、何もしなければ痛くないね」
「ロキソニンが効いているようですから、そのまま継続して使いましょう。もし、それでも痛くなったら、アセトアミノフェンを追加していいですし、もっと我慢できなくなったときのために、頓服として、『トラマドール』(弱オピオイド鎮痛薬)というお薬も出しておきます。これは、がんの痛みを取る、次の段階の薬になります。

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