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2026年3月16日、同志社国際高校の沖縄修学旅行で、米軍普天間飛行場の辺野古移設に反対する「ヘリ基地反対協議会」の「抗議船」2隻が転覆し、「平和丸」に乗船していた高校2年の武石知華さん(17)と抗議船「不屈」船長で牧師の金井創さん(71)が死亡する痛ましい「事件」が起きた。楽しみにしていたはずの修学旅行で命を落とすことになるなんて……同じ高校2年生の子を持つ親として、ご本人はもちろんご遺族の気持ちを想像すると胸が締め付けられる。
それと同時に、この事件が我が母校「同志社」での出来事であるというのが、とにかく腹立たしく情けない。母校といっても系列校で起こった出来事であり、私が一般入試で入った「同志社大学」でのことではない。だが、この事件は同志社本体のあり方が問われる事態にまで発展している。OBとしてとりわけ母校愛が強いわけではないが、それでも懐かしい思い出が詰まっている同志社が非難されているのを見ると、やるせない気持ちになってしまう。
もちろん、西田喜久夫校長をはじめとする同校の責任者と協議会は糾弾されてしかるべきだ。不屈と平和丸2隻の船長は、小さな船体に定員ギリギリの生徒たちを乗せ、波浪注意報が出ているのにもかかわらず出航するなど、安全対策がまったくなっていなかった。引率した教員も陸に残ったままだったという。運輸局に必要な届け出もしておらず、保護者も我が子が抗議船に乗ることを知らされていなかった。さらに学校側は保険の加入状況についても未確認だったと伝えられている。
政治思想云々の前に、「無認可の抗議船に乗せて事故が起こったら、大変なことになるかもしれない」という安全意識が、学校側にも協議会にも、まるで欠如していた。3月20日、協議会に対し業務上過失致死などの容疑で家宅捜索が入ったが、当然のことだ。そう、これは高波による「天災」などではない。大切な生徒たちの命を預かっているという安全意識の欠如した者たちが起こした「人災」なのだ。当局の介入を招いたのは協議会自身だ。この修学旅行を企画した同校の責任者と協議会の活動家たちは、社会から厳しく批判されてしかるべきだ。一生をかけて罪を償ってほしい。また、協議会とのかかわり方について、同志社本体も認識を問われて致し方ないだろう。
ただ、同校の生徒たちは「被害者」だ。楽しかったはずの修学旅行が暗転して心に傷を負っているはずだ。船に乗っていて命は助かったものの、大怪我を負った生徒たちもいる。そのうえに、母校が社会から糾弾されている。生徒たちの気持ちを思うと可哀想で仕方がない。同校の生徒たち、そして同志社で学ぶ生徒や学生たちには何の罪もない。子どもや若者は社会全体で守るべき存在だ。同志社を批判する人たちには、そのことだけは心に刻んでもらいたい。同校の生徒たちの心をケアするとともに、勉学や進学にあたっても、絶対に不利益がないようにしてもらいたい。
そのうえで、あらためて同志社のあり方に問題がなかったかを問いたい。私は沖縄で「平和学習」をすること自体は何ら問題だとは思わない。日本人が敷地面積で70%以上にもなる米軍基地を沖縄に押し付けているのは事実だ。また、先の大戦における沖縄戦で、沖縄の人たちは悲惨な目に遭った。たまたま私は、昨年末に沖縄へ行く機会があり、「ひめゆりの塔」と併設の平和記念資料館を訪れた。沖縄県立女子師範学校と沖縄県立第一女学校の生徒たちで構成された「ひめゆり部隊」は、ちょうど同校の生徒たちと同じ世代だ。その多感な時期に、自分たちとは全く違う時代を生きた少女たちの地獄のような証言から学ぶことは、戦争と平和を考えるのに得難い経験となるだろう。
また、米軍基地の近くにあるコザゲート通りを歩けば、沖縄におけるアメリカへの経済的依存や文化的影響を色濃く知ることになる。かつて先祖の命を奪ったアメリカに対して、アンビバレンツな感情を抱えながら沖縄の人たちは暮らしている。基地問題に対しても本音を語りたがらないと聞く。沖縄に限らず我々の社会は、簡単には割り切れない複雑さを至るところに抱えている。その一端を知るだけでも、高校生たちが沖縄を訪れる意味はある。その一環として普天間基地や辺野古を訪れ、抗議している人たちから話を聞くこともあっていい。数時間話を聞いたくらいでシンパになってしまうほど、生徒たちがヤワだとは私は思わない。
ただ問題は、ヘリ基地反対協議会のような強い政治的信念を持ち、ときに危険な抗議活動もする特定の団体と同校が強い結びつきを持っていたことだ。修学旅行のコースに組み入れただけでなく、金銭まで渡して生徒たちを預けていた。もし私が同校の保護者だったとしたら、驚いただろう。私はリベラルを自認しているが、子どもたちには多様な考えに触れて、幅広い視野と見識を持ち、自分自身で考えられる大人に育ってほしいと願っている。しかし、同校の校長をはじめ一部の教員たちは──押し付けるまではしていなかったとしても──生徒たちを特定の政治思想へ誘導しようとしていたのではないか。協議会との結びつき方を見ると、そう疑われて致し方ない。
筑波大学准教授・掛谷英紀さんのXへの投稿で知ったのだが、元TBS政治記者でキリスト教牧仕(牧師)・小林拓馬さんの動画によると、同志社大学神学部は「日本基督教団」の「社会派」という派閥と関係が深く、社民党や共産党とも結びつきが強いのだという。小林さんたちキリスト教業界の人たちからすると、今回の件は「あーなるほどね、と業界なら察します」という出来事だったのだそうだ。文学部社会学科新聞学専攻(現・社会学部メディア学科)を卒業した私は、このことをまったく知らなかった。なぜなら、神学部は1学年70人未満という極めて小さな組織で、他学部の学生が在学中に神学部の学生や関係者と直接関わることは、ほとんどないからだ。
だが、同志社の中枢では、その影響が大きいのかもしれない。創立者・新島襄(1843-90)は、現在の群馬県に位置する安中藩の下級武士の出でありながら、幕末に国禁を犯して函館から単身アメリカへ渡り、洗礼を受けてピューリタン(清教徒)となった。そして帰国後、キリスト教精神に基づく良心の教育を掲げて、同志社英学校を設立した。そのスピリットをもっとも強く受け継いでいるのが神学部だ。したがって、少数であったとしても、同志社の中枢で力を持つのは不思議ではない。ちなみに現在の小原克博学長も神学部出身だ(ただし、歴代の総長・学長のほとんどは神学部出身ではない)。
そして、いわば同志社人の純粋培養を目的として設立された国際高校など系列校にも、神学部的な影響は強く及んでいると思われる。実際、系列校出身の「内部」生は、我々「外部」生が知らなかった同志社のカレッジソングや讃美歌を大学1年生のうちから全部知っていた。そうした教育による意識の違いが、「内部」生と「外部」生には、確かにあったと感じる──ちなみに、「内部/外部」という言い方は、キャンパス内でふつうに使われていた──そうしたバックボーンがあったからこそ、国際高校は金井牧師との縁を深め、それが辺野古での平和学習に繋がっていったのだろう。
同志社のキリスト教精神が、日本基督教団社会派的な政治運動へ向かったことも理解はできる。キャンパス内に「我々は社会的弱者の味方であるべき」という気風があったからだ。実際、私が在学していた時代には、日本語の読み書きができなかった在日韓国・朝鮮のオモニたちを支援する学生団体などがあった。それは隣人愛や奉仕の精神を大事にするキリスト教精神に通じるもので、リベラル左派的な政治思想とも親和性が強かった。
だが、同志社大学全体が、神学部や日本基督教団社会派的な政治思想の影響を受けていたかというと、それもまた違う。大学当局や教授たちは学生の自由や個性、自主性を最大限尊重してくれていた。悪く言えば自由放任主義で、キリスト教精神や特定の政治思想を押し付けられることもまったくなかった。私自身は新聞学の故・竹内成明(たけうち・しげあき)教授の影響を強く受けたが、京大人文研出身でルソー研究をしていた成明さん──反権威主義で教授と呼ばれるのを嫌い、我々にも「せいめいさん」と呼ばせていた──の政治思想は、キリスト教精神というより、全共闘シンパ的な思想だった。それゆえ私は同志社よりも、当時、自由闊達で反権威の気風が強かった京大の影響を間接的に受けたと言えるかもしれない。
いずれにせよ言いたいのは、今回の沖縄の事件をもって、同志社全体が日本基督教団社会派的な性向を持つ学校だと思われるのは、OBとしては非常に違和感があるということだ。むしろ同志社のよさというのは、多様な考えを持つ人たちがおり、自由や個性、自主性を尊重するところにあった。キリスト教精神の強い人もいたが、学友会はゴリゴリの左翼だったし、保守的な思想が強い人たちもいた。その一方で、大半の学生はノンポリであり、政治思想に強い関心を持っていなかった。内部生たちの多くも、のほほんとしたボンボンといった感じの人たちだった。私のように、毎週『朝日ジャーナル』を欠かさず読むようなリベラル派は、むしろ希少種だった。
それが「同志社らしさ」なのだとすれば、特定の政治思想を持つ団体と強く結びついた国際高校の平和学習のあり方は、むしろ私からすると「同志社らしさ」に反していると感じるのだ。今回、同校がヘリ基地反対協議会と結びついていたことに対して、ここぞとばかりに同志社を「左巻き」「偏向教育」などと批判する保守派の声が高まっているが、それに応えるならばOBとしては、あらためて同志社の人たちに、「同志社らしさ」とは何かを考え直す機会にしてほしいと言いたい。
そしてもう一つ、ヘリ基地反対協議会や支援団体、そしてリベラル左派の人たち全体に言いたいのは、自分たちの政治思想の弱点をいい加減、直視するべきだということだ。私が一番驚いたのが、辺野古で報道陣のインタビューに応じていた女性の言葉だった。
「金井さんは本当にやさしいおじさんで、私たちも本当に頼りにしていて、惜しい人を無くしてしまったなと思ってるんですけど、残念ですね。金井さんは何回もここに来て海も知ってるし、子どもを大切にして自分が海に連れて行くという思いがあったと思うんですけど、本当に想像を絶する風の勢いだったと思うんですね。天変地異というか天気の具合というのは、誰も想像できないようなことが起こるんだなってつくづく思って。亡くなった女学生には本当に申し訳ない。思いはきっと、『こんな無謀な工事はやめてくれ』という意味で辺野古に来ていただいたと思うんですね。本当に昨日からずっと眠れなくて辛い思いをしていました」
これを聞いたら、ご遺族はどう思うだろう。亡くなった女学生に申し訳ないとしながらも、これらの言葉に込められているのは、事故は「天災」であって、故・金井牧師には責任はないという言い逃れだ。そして、本心を分かるはずもない武石さんの気持ちを代弁して、自分たちの抗議活動を正当化している。これはこの女性だけの気持ちではなく、辺野古移設反対運動をしてきた協議会の人たちに、共通して醸成されてきた思想から出たのではないか。私はそう感じてしまう。
この女性自身は、個人としては悪い人ではないのだろう。だが、「辺野古移設反対」の目的を優先するあまり思想が先鋭化して、人として大切なことが見えなくなっている。いまはひたすら謝罪し、責任を認め、贖罪すべき時なのに、こんなことを言っていたら、ますます反対運動への共感を失ってしまう。そのことに、思想が先鋭化してしまうと気づけない。それは、この人たちだけの問題ではなく、リベラル左派全体が抱える「弱さ」だ。
コロナ騒動のときも、リベラル左派は「感染対策の甘さ」を政権追及の武器とするあまり、過度な感染対策やワクチン強要で自由や人権を侵害された人たちの苦しみが見えなくなっていた。現在も、ワクチンで健康被害に遭った人たちを、自分たちの保身のために切り捨て続けている。左右に限らず思想が先鋭化すると、自分たちが守ろうとするもの以外の「命」が見えなくなる。その思想的弱点が露骨に出たのがコロナ騒ぎであり、今回の事件だと私は考えている。
もちろんこれは、リベラル左派だけの問題ではない。右であれ左であれ、思想が先鋭化すれば、視野に入らない者の命は軽んじられてしまう。この事件において我々大人が一番に問うべきは、教育現場において本当に人の命が大切にされてきたのかということだ。同志社国際高校ではできていなかった。それが日本基督教団社会派との繋がりに根を持つものであったとしたら、そのあり方は糺されなくてはならない。同志社は身を切る覚悟でこの問題に取り組むべきだ。武石さんのご遺族と同級生たちへの補償・ケアを最優先に行うとともに、その猛省の上に立って同志社が再起することを心から願う。
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