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小川榮太郎「批評家の手帖から」

小川榮太郎(文藝評論家)

小川榮太郎

怒りを忘れた民族に未来は描けない
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昨日は、平和研の月例会だった。

そこで私は思いあぐねている、しかし恐らく私にとってというより日本にとっても最も痛切な主題を御話した。お話したというより、話しようのない何か、解答以前にテーマがまだ見えきっていないことを話した。こういう話を語り掛けられるのは長年集ってくれている平和研の皆さん以外にはない。

私は今、司馬遼太郎の幕末ものを読んでいて、龍馬に続き、『世に棲む日々』を多忙な移動の中で読み進めている。松陰の「狂気」を描きあぐねながら、真直ぐに描き出そうとしている司馬の筆を通して、今、この若者の狂気が読む私に乗り移っている。それは簡単な話で、私は毎日狂い生きしている男だから、そのまま私自身の「地」に出会っただけの事だなのだが。

私は、今の日本が事実上、空洞化し、腐敗していると言い続けてきた。それを正常化するという事の外に、私の社会的な志はない。

空洞化と腐敗の分り易い例は文壇で、私の『作家の値打ち』を見てもらい、それに沿って幾人かの作家の作品を時系列で読んでもらえれば、読者の誰にも、身体で感じてもらえよう。しかも、これはたった3年程前の本なのに、その中で最も重要な作家だった古井由吉、石原慎太郎、大江健三郎は既に亡い。現役で一度会ってみたいと思っており、向こうでもその気持ちを持っていたように仄聞する西村賢太も早すぎる死を死んだ。この数十年で最も才能ある批評家だった福田和也も五十前に自滅してしまい、そのまま復活できず先日他界した。

あの本は、日本文壇のあまりに貧困な有様、平成初期まで小説が書けていた人達も、この二十年ひどい小説ばかり書くようになっている上、むしろ大半が才能の乏しい人達で占められている有様を示している。その中にあってピラミッドの頂点を構成していた作家が相次いで亡くなってしまえば、文学の世界において、もう価値秩序そのものが消えていると言うほかはないであろう。

が、日本人1億2千万人、小川榮太郎以外、誰一人これを怒らない。怒りがない。憤激がない。激情がない。狂気がない。

食えて、明日に我が身が持つならば、あとはそこそこでいいならば、それは日本人ではない。多くのホモサピエンスはそのレベルで今まできた。だが、我が日本人はそうではなかった筈ではないか。価値に飢え、価値の衝動を持ち、価値にこそ邁進する共同体。それが、この国を、おそらく縄文時代から世界人類の中でも特別なものにしてきた。

帝王の巨大な宮殿や美術品と、一般庶民の原始状態――これが世界の多くの古代人類の平均的な姿で、大陸では今でもそうであるとするならば、日本では、天皇に巨大豪華な宮殿ない一方で、庶民も火焔型土器を生み、翡翠の精巧な装飾品を創り出していた。

その価値を巡る我々の共同体が、言葉を得た時の精華が萬葉集であり、それ以来、昭和まで我が国に言霊の途絶えはみられない。

それが消えた。一般国民の中から消えたのでなく、文壇が率先して腐ったのだった。私はそれを思うだけで気が狂う。その狂気が私一人だけのものと知るほどに、益々気が狂う。気違い仲間が一人もいないという事に気が狂う。

松陰の狂気は長州を覆い、それが日本を動かし、近代日本はまさに長州が作り、その末裔が安倍晋三だった。松陰の狂気は少なくとも令和4年の安倍晋三の死までは命脈を保ち得たのだった。

では、私の狂気はどこで種を結びうるか。結びうるならこの瞬間に炎に包まれ、我が身など消えてしまえとリアのように荒野で絶叫しながら果ててしまう方がましな人生を、今、私は毎日続けている。

文学――言霊を失った日本はどう見ても日本ではない。ただ片言の日本語、汚い日本語を使って生存を維持しているホモサピエンスに過ぎない。そんな風景を見ながら生き続ける事は私には耐え難い。

事実、これは日本民族必敗の道だ。――私は仕方ないのでそうした功利的な説き方で、私の考えを説いて来た。

日本人がここまで勝ち続け、人類史で独自の強く高い代表的な位置を占めてきたのは、その年来の鋭い美意識とモラルによる。宣教師が戦国時代に来た時も、外交官たちが幕末に来た時も、彼らは世界中で唯一、欧米自身と同格かそれ以上の民族をそこに見出したのだった。富裕を何よりも好む彼らが日本に見出して驚いたのは、富裕ではない。彼らはそこに次元の違う清潔さを見出し、人格的な誇りを見出し、威厳と優美とを見出し、庶民の人格水準、道徳水準の高さを見出したのである。この民族は簡単に征服はできない。と言うより、この民度の高さは驚異的であって、技術と方法を身に付けたら、恐るべきライバルになるという事を彼らは異口同音に本国に書き送っている。

その根底にあるのが、我が国民の庶民に至る国語力であり人間学の普及だった。司馬さんは必ずしも日本史や日本人に点が甘い人ではないが、『世に棲む日々』でも、江戸時代ほど教育、教養の行きわたった社会は世界史に見出せないのではないかと書いている。それは間違いない。江戸には今でいう「不都合な真実」も多くみられるが、それでも、あの人間教育のありようは世界史上の奇跡だろう。

それが私たちの財産だった。文学、人間学の高度な教養を持つ共同体という裸一貫の民族力こそが、私たちのなけなしの唯一の財産だった。

それをここまで自分たちで粗末にして、成長戦略も安全保障も少子化対策もありはしない。私は何を見ても、何を聴いても、「何を言ってやがる、くそったれ」としか思えない。それでも国を潰せない衝動で、政策進言を十数年の政権に対して行ってきたが、私の本旨はそこにはない。

それ以前のこの国の人間の土台を作り直す事にある。

しかし、この民は怒りを忘れている。怒りは作り出せない。

例えば私を松陰の擬したとして、今、久坂玄瑞も高杉晋作も出ないだろう。死屍累々の戦いに身を挺する人間は出ないだろう。

それならば私は寧ろ、江戸初期の林羅山の役割を担うべきなのか。あるいは明治前期の教育勅語から皇国教育に至る一連の国教の定めに類する何かをすべきなのか。それはそうなのだろうと思う。

この国の内外の危機は、そんな息の長い数世代にわたる民族教育の余裕を持たないように感じており、それが私を狂わせ、焦らせているのだが、それでも土台から作り直すなら、いわば国教の定めが必要だという事になるだろう。

だが、大きすぎる違いがある。戦国時代のたけだけしい日本人を林家の儒学は型にはめた。幕末に荒れ狂った外圧への怒りと狂的な時代変革の情念を明治の教育制度は国家人材育成の型にはめた。型にはめる前に、圧倒的なエネルギーと狂気がこの民族にはあったのだ。ところが、今、そのエネルギーそのものが消えている。控え目に言っても日本は休火山に入っている。

しかし、我が国が有史以降、休火山になった事はなかったのである。文武のいずれか、あるいは文武いずれもで、絶えず燃え上がる創造力を持っていた。

今の日本人はすべてが小さい。小さすぎる。金儲けの情念も小さい。金額よりも心構えが小さすぎる。文化的な野心も小さく、型にはまっている。可愛らしいというレベルから一歩も外に出ない。どう猛さがない。狂気がない。怒りがない。狂気や怒りがない穏当な創造など、創造ではない。

私自身は教育プログラムを作る柄ではないが、それでも平和研でそれを推進してゆくつもりではある。が、これは何と言っても私の柄ではない(笑)。私は監修者に留まるであろう。

私が何よりも気になるのは、この民族の休火山が、そのまま死火山になってゆくのではないかという事である。

では、それは防ぎ得るのか。予測はつかない。合理的には難しいように思う。だが、もし私が負けを承知で挑むとすれば何があろうか。

自分たちが精神的に決定的に貧しくなった事――させられた事ーーへの怒りを持てない人達に私ができる事は何か。――結局、何らかの文化的な巨大な爆弾を投下する事でしかないだろう。一人の文士として優れた文章を書くなどという事は――既に我が大先輩である桶谷秀昭、小堀桂一郎、長谷川三千子先生らの存在が全く顧みられず、粗末に扱われている事で明らかなように、今の日本では何ら意味をなさない。

日本の文壇、論壇、精神界に内なる黒船として途轍もない衝撃を与えること、無視できない衝撃、生活と立身出世のすべてが脅かされるような衝撃を与える事、それを考え始めている。




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