… … …(記事全文8,098文字)「リテラシー」という言葉がある。メディアやSNSでもよく目にするもので、本来は読み書きの能力を言う。近年では、ある分野の情報を正しく理解し、使いこなし、そして判断できる能力を意味する。つまり「リテラシーがある」とは、情報を理解して読み取る力、正しい情報かどうかを見分ける力、自分の目的に合わせて活用する力、この3つがそろっていることが求められる。単に知識を持っているだけでは不十分。目の前に提示された情報を自分自身の頭で考え、政治や法律、あるいは社会的な文脈の中で正しく判断し、自らの行動に結びつけるという実践的な能力が、いまの社会で使われる「リテラシー」の本質である。
中でも、よく使われるのが「情報リテラシー」だろう。ネットを含め洪水のようにあふれる情報の海の中から必要なものを探し出すだけではなく、その情報に含まれるフェイクを排除かつ批判し、信頼性のあるものを抽出して適切に活用する能力のことを指す。
情報リテラシーと似たものに「メディアリテラシー」がある。こちらは新聞やテレビ、雑誌、またネットメディアから発信されるニュースや投稿が対象となる。それらのニュースや投稿を鵜呑みにするのではなく、その意図や背景を理解し、主体的に取捨選択する能力を言う。その他に、スマホやPCを安全に使う「デジタルリテラシー」や、お金の仕組みを理解し、賢く使う「金融リテラシー」といったものがある。
わたしは長年、記者として様々な分野を取材し、新聞やテレビ、雑誌、いまではメルマガでも多くの情報を発信している。わたし自身は発信する側であるが、同時に受け手でもある。だからこそ、メディアリテラシーの大切さは痛いほど理解しているつもりだ。わたしが発信する情報も完全に正しいとは言い切れない。もちろん、わたしは意図的なエセ情報など絶対に流さない。それでもミスの可能性は残る。受け手はそこを主体的かつ批判的に読み取り、情報の取捨選択と真偽を分析する能力が必要なのだ。
メディアリテラシーの普遍的な意味としては、情報が氾濫する現代社会において、自身が誤った情報に振り回されることを防ぎ、民主主義の社会を維持するための必要な道具だと言える。
中でも昨今はSNSが新聞やテレビ、雑誌といった既存メディアよりも大きな影響力を持つ。だが、残念なことにSNSほど「味噌もクソも」の世界はない。「真実は既存メディアではなく、ネットやSNSに存在する」と信じる人は少なくないが、これは間違いだ。ネットほど意図的に歪められた情報やフェイクニュースが大量に混在している世界はない。「真実はネットやSNSに存在する」と無邪気に信じる人ほどSNSの罠にはまっている。

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