… … …(記事全文8,980文字)政治が国民から離れ、腐敗していってからずいぶんと年月が経つ。そのことを象徴した言葉が「政治の劣化」だった。この言葉が流行ったのは1980年代後半から2000年代にかけてである。背景にあったのは国民の政治不信であり、その不信を増幅させる政治事件が多発したことが原因だった。
1980年には「リクルート事件」が発覚した。リクルートの関連会社として設立された「リクルートコスモス」は当時、未上場の不動産会社だった。同社は未上場であるため株式は未公開であり、その株が賄賂として官僚や政治家に渡った事件である。政治家では森喜朗や中曽根康弘、竹下登、安倍晋太郎らの名前が挙がった。
政治家だけではなく、マスコミも腐敗していた。当時の日本経済新聞社長がリクルートコスモスの未公開株を受け取っていたことまで判明し、「リクルート事件」は政界とマスコミに激震を与える戦後最大の経済事件と呼ばれるようになった。なお、リクルートコスモスは現在、「コスモスイニシア」と社名を変えて存続し、株式も東京証券取引所で公開している。
1992年には金丸信の脱税事件が発覚した。政界の実力者で副総理だった金丸が、東京佐川急便から5億円の闇献金を受けていた事件である。闇献金が発覚後、東京地検は金丸から事情聴取は行わず、上申書の提出で済ませていた。捜査はその後、金丸を政治資金規正法違反(量的制限)の罪で略式起訴し、罰金20万円の略式命令で終結した。このような甘い結果で終わったのは、現在なら考えられないことだが、この当時は企業による政治家への個人献金は禁止されていなかったからである。
もっとも、それで事態は終わらなかった。国民の怒りが爆発したのだ。霞が関の検察合同庁舎では、玄関の近くにある「検察庁」の看板に黄色いペンキがかけられる事件が発生した。このペンキ事件では、世間の批判は犯人の男性へ向かわず、5億円の闇献金を20万円の罰金で済ませた検察庁へと向けられた。世論の怒りとともに検察内部でも捜査への批判が起こり、再捜査が行われて最終的に金丸は逮捕された。このときの容疑は闇献金ではなく、不正蓄財だった。再捜査したことで政治資金を流用した割引債が金丸氏個人に流れていたことが判明し、脱税事件で起訴されることになったのだ。

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