… … …(記事全文5,321文字)番兵はいつか帰る
吉田茂はこう語ったと伝えられている。
「知恵のない奴はまだ占領されていると思うだろう。知恵のある者は番兵を頼んでいると思えばいい。しかしアメリカが引き揚げると言い出すときが必ず来る。そのときが日米の知恵くらべだよ」
日本は1952年に主権を回復した。だが、それは名目上の独立にすぎなかった。米軍は駐留を続け、日本は占領され続けてきた。
それでも多くの国民は信じてきた。安全保障はアメリカに丸投げし、日本は経済に集中する。この吉田ドクトリンこそ、戦後日本の賢い選択だった、と。
私は、吉田ドクトリンは米軍の恒久駐留を肯定するための方便に過ぎないと考えている。日本の経済的発展と吉田ドクトリンは無関係である。
しかし、いずれにしても、そんな時代は終わった。経済は30年にわたって低迷し、かつての繁栄は見る影もない。そして今、番兵が本当に帰り支度を始めるかもしれない時代が来た。
吉田の言う「知恵くらべ」の日が、近づいている。
「同盟をすべて解消せよ」
2026年9月10日、ワシントンのシンクタンク、ディフェンス・プライオリティーズが一本の論文を公表した。題名は「アジアのための第二列島線戦略」。著者はジェニファー・カヴァナーである。
同シンクタンクは、米国の海外関与を縮小すべきだと一貫して主張してきた「抑制派」の拠点だ。主流派ではない。だが、トランプ政権下のワシントンで、その声は無視できない重みを持ち始めている。
論文の主張は過激だ。
米軍の重心を、中国沿岸に近い第一列島線(日本、台湾、フィリピン、韓国)から、グアム、パラオ、マーシャル諸島、ミクロネシア、オーストラリアを結ぶ第二列島線へ下げよ、というのである。
それだけではない。台湾については「戦略的曖昧さ」を捨て、明確な不介入を宣言せよ。韓国、フィリピン、オーストラリア、そして日本との相互防衛条約はすべて終了し、狭く柔軟な「パートナーシップ」に置き換えよ。陸軍と海兵隊はアジアからほぼ撤収し、海空戦力も大幅に削れ。
期限まで切っている。大半を2030年までに、すべてを2035年までに完了せよ、と。
著者の論理は単純だ。米国のアジアにおける死活的利益は二つしかない。本土の防衛と、市場と通商路へのアクセスの確保である。そのどちらにも、中国の目の前に9万人の米軍を並べる必要はない。
中国のミサイルの射程内にある前方基地は、もはや資産ではなく負債だ。イラン戦争では、サウジアラビアが自国からの米軍機発進を拒否し、ホルムズ海峡の再開作戦が止まった。同盟があっても、基地が使える保証はない。ならば、守りやすい遠方の島々に下がればよい。
韓国は真っ先に切られる
国別の処方箋は容赦がない。
最初に切られるのは韓国だ。論文は米韓同盟を「最も便益が少ない」と断じる。米国は年約50億ドルを負担し、北朝鮮との戦争リスクを背負わされ、しかも在韓米軍は半島に張り付いて他の有事に使えない。韓国は自力で北朝鮮を抑えられる。だから2年以内に同盟を解消し、地上戦闘部隊を引き揚げよ、という。核の傘も終わる。
フィリピンについては、南シナ海の「岩と礁」のために米中戦争に巻き込まれるリスクを強調する。条約を縮小し、2024年から配備している中距離ミサイル「タイフォン」も撤去せよと言う。
台湾にはさらに冷たい。中国が台湾を取っても、軍事的な利得は限定的だ。半導体の混乱も一時的で、設計の知的財産は米国が握っている。台湾が中国との融和を選んでも、米国は受け入れるべきだ。台湾にいる約500人の米軍教官は、即時撤収せよ。
日本は「最後に手放す国」
では日本はどうか。
論文は日本を、地域の勢力均衡で「最も重要なプレーヤー」と位置づける。日本を中国の支配下に入れないことは米国の利益だ。だから日本からの撤退は他国より遅くする。
だが、結論は同じである。日米安保条約は「逆効果で不要」だと言い切っている。
具体案はこうだ。
沖縄の海兵隊約1万8000人は、2030年までに全員本国へ帰す。横須賀を母港とする空母打撃群と岩国の海兵航空群は「即時」引き揚げる。残すのは三沢、横田、横須賀、座間の約5000人。それも2035年までに常駐をゼロにし、いくつかの拠点を使う権利を、交渉か「管理手数料」の支払いで確保するだけにする。
さらに論文は、二つのことを平然と書いている。
一つは、沖縄の米軍は日本を守るためではなく、台湾を守るためにある、ということだ。
もう一つは、尖閣諸島の帰属は米国の利益にとって重要ではない、ということだ。
米国の識者が、ここまで率直に語り始めた。番兵が帰り支度をしながら、本音を漏らしているのである。
では、この論文は米国の政策になるのか。そして日本は、これをどう受け止めるべきなのか。

購読するとすべてのコメントが読み放題!
購読申込はこちら
購読中の方は、こちらからログイン