… … …(記事全文3,821文字)石破茂首相が「戦後80年所感」を発表しました。日本が敗戦から立ち直り、平和国家として歩んできた道を顧みるという建前で語られた文章は、メディアでは「反省に満ちた未来志向」と持ち上げられています。しかし、私は強い危機感を覚えます。なぜなら、そこに提示された歴史認識は戦後リベラル史観の焼き直しにすぎず、真の問題が欠落し、このままでは日本は同じ過ちを繰り返し、何度でも敗戦する国家になりかねないからです。
統帥権の本質を取り違えた歴史認識
石破所感でまず指摘したいのは、「統帥権と文民統制」についての理解の浅さです。石破首相は「統帥権の独立が軍部の暴走を許し、文民統制が欠如していたことが大戦への道を招いた」と述べました。これは戦後日本で繰り返されてきた常套句ですが、この通俗的な説明こそが、歴史の教訓を歪める元凶です。
私の見解は逆です。軍部が暴走したのは「統帥権が独立していたから」ではなく、「統帥権が機能しなかったから」です。たとえば、満州事変後に政府が「これ以上の不拡大」を明確に掲げていたにもかかわらず、関東軍はこれを無視して長城線を越え、河北への侵攻を開始しました。この時、本来なら統帥権の主体である昭和天皇が「粛軍命令」を発し、現場の独走を断固として鎮圧すべきでした。しかし、そのような行動は取られず、結果として現場が先に国家意思を既成事実化していきました。
ここに日本の致命的な構造的欠陥がありました。天皇が有する統帥権が「使用されない」「使用できない」体制、すなわち丸山真男が喝破した「無責任の体系」です。統帥権の独立そのものが悪なのではありません。最高統帥者が責任を持って指揮命令を行使せず、政治もまたそれを制度的に補完できなかったことが、組織の統制を失わせ、現場の勝手な行動を招いたのです。この本質を見誤る限り、日本は再び「文民統制万能論」という幻想に逃げ込み、同じ過ちを繰り返すでしょう。
見落とされた「ソ連の影」――開戦を仕組んだ赤い諜報網
石破所感の第二の重大な欠落は、

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