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パリ五輪、女子柔道52キロ級で前回の東京五輪の金メダリスト、阿部詩(うた)選手が2回戦で一本負けを喫した。
悔しさや情けなさから錯乱状態に陥り、会場に轟きわたる、まるで幼児のようなぎゃん泣きを3分近くも続けた。
この件に対し、スポーツ紙やネットでは擁護の声が結構多いが、私はとても擁護する気にはならない。
私の感覚はもはや時代とはかけ離れているのだろうか?
擁護派はこんなことを言う。
そりゃあ、オリンピック二連覇のプレッシャーは計り知れないものがあっただろう。
この日のためにすべてを捧げてきたのだから負けて悔しいのは当たり前。
涙を見せるのは自然なこと。
あんなに泣くのも素敵だなと思った。
感情は人それぞれでよいと思う。
事実、会場には「UTA」コールと健闘を称える拍手が沸き起こったではないか。
これに対し、私を含めた批判派、違和感を抱いた者たちの意見はこんな具合だ。
確かにオリンピック二連覇のプレッシャーがかかっているのは詩選手だけでその大きさは認める。
しかし勝負には勝者がいる以上敗者がおり、負けて悔しいのはどの選手も同じ。
皆、泣くのを我慢している。
この日のため、この一瞬にすべてをかけてきたのは、オリンピックに出場するくらいの選手なら皆同じで、詩選手が特別なのではない。
また前回王者の詩選手の柔道を皆が研究し、弱点などを見つけていることは明らかで、負けは不思議なことではない。
あの3分間近くの錯乱した泣き方は自分のことしか頭になく、相手の選手に敬意を払っていない証拠と思われ、大変失礼である。
しかも競技の進行を妨げた。
そして会場が「UTA」コールと拍手に包まれたというが、それは詩選手にエールを送るというよりは、異常な泣き方に対し、そろそろ泣くのはやめたら、の合図であるように私には思われたのだ。
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