… … …(記事全文5,650文字)身近な話から始めたい。先週、ま、先日と言っても金曜日夜、私の心の友だった青木吾朗のお姉さん、青樹明子さんと食事を共にした。「心の友だった」と過去形にしたのは勿論吾朗ちゃんは昨年夏突如逝ってしまったのだ。私より20歳若いので62歳の本当に早すぎる死であった。吾朗ちゃんの死は死を悼むとか心よりお祈りいたします、とかの表現では追いつかないのだ。まず何よりも口惜しい。悔しい。そして吾朗ちゃんを奪って行ったヤツが本当に憎らしい。もう1年になるが今からでも追いかけて行って取り戻せるなら取り戻したい、取り戻したい!!それほど彼の身退きは私にとっては特別だった。1周忌を過ぎてもこの口惜しい心の状態が治らないのはなぜなんだろう?
吾朗ちゃんとの出会いからもう一度思い出してみよう。1989年10月の第1週から調査報道番組と銘打った「ザ・スクープ」がスタートした。この番組を始めたテレビ朝日、というよりこの種の番組を始めたかったテレビ朝日の報道局長、小田久栄門氏(故人)の思いがずっしりと詰まった番組だった。その割にはスタート時の人事構想は甘く、プロデューサーの日下雄一氏はそれまで、そしてその後も「朝まで生テレビ」のプロデューサーで頼りにはなったが、新発の番組の骨組みというか構想はスタート時点でもちゃんと描かれていたわけではない。
鳥越俊太郎ウェブマガジン「鷲の目」
鳥越俊太郎(ニュースの職人)