… … …(記事全文4,044文字)もしも自分の仲のいい大好きな兄が、レイプしたと週刊誌に書かれ、世間からバッシングを受け始めたとしましょう。で、そんな週刊誌記事に対して、本人は「やってない」という声明を出しているものの、週刊誌には毎週、レイプについての詳しい情報が掲載され、週刊誌と本人の言い分が食い違っていたとしたらどうするでしょうか?
僕ならば、まず、本人が言っていることが真実なのか、週刊誌が言っていることが真実なのかを明らかにするために、本人に問い詰める事も含めて、可能な限りの情報を集める努力を重ねることと思います。
「そんな事をするはずがない」「その報道が嘘であってほしい」「その報道が真実ならなんてつらい話なのだろう…」などと強く思ったとしても、だからといって(真実についての確信が無い限り)、「全力で弁護」するということは無かろうと思います。
もしもそうやって弁護してしまえば、レイプ被害者に対して「お前は嘘をついてるんだ」と宣言することに等しいことになってしまいます。そんな宣言をしておいて「ホントは兄がレイプしてたんだ」っていうのが真実だって事が後で分かったら「ごめんごめん、あれ、俺が間違ってたわぁ~」では絶対に済まされません。レイプの被害者に「おめぇ、嘘ついてんだろ?」っていうのは、卑劣な最低の行為だからです。
だから僕は、(兄の事をどれだけ愛していても、信じたいと思っていても)兄がレイプをやっていないと「確信」できない限り、どう考えても、兄を徹底弁護するなんてことは、絶対にできないのです。
以上を整理しますと、僕がなぜ「兄を全力で弁護」できないかというと、その理由は次のようになります。」
- 1)僕は、兄がレイプをしていないと断定できない。
- 2)一方で僕が「兄はレイプなんてしてないんだ!」と徹底弁護できるのは、「兄がレイプをやっていない」と断定できると、僕が思った場合に限られる。
- 3)だから(兄がレイプをしていないと僕は断定できない以上)、僕は兄を徹底弁護できない。
こう考えると、極めて当然の話ですよね。ただし、この件がレイプである、ということを踏まえると、さらに重要な次のポイントを挙げることもできます。
- 4)しかも、万一、兄が実際にレイプをやっていたとして、そしてそれにも関わらず僕が「兄を徹底弁護」していたとすれば、その徹底弁護が被害者女性に対する被害を拡大する事になる(いわゆる、セカンドレイプ、と呼ばれるもの)。その被害拡大リスクを回避するためにも、レイプ事件については特に『「兄はレイプなんてしてないんだ!」と徹底弁護できるのは、「兄がレイプをやっていない」と断定できると思った場合に限られる』という態度をより強固に持つ必要がある。
ということで一定の倫理性を持つ人ならば、「兄はやっていない」と確信が持てない限りにおいて、兄を徹底弁護する言葉を、口にすることは、絶対回避する事になります。それは「レイプされた被害者を、お前はレイプされてないのに、レイプされたって嘘ついてんだろ!!」という酷い人非人(クズ)な振る舞いをしてしまうことを回避するため、です。
だから兄を愛する僕は、「兄はやったかもしれない!」とまでは言いませんが、「兄は絶対やってません!あの女は嘘ついてるんです!」とは口が裂けてもいわないのです。
…っていうか、普通の「常識」(common sense)や「良識」や「理性」(reason)、あるいは最低限の「法的精神」(regal mind)があれば、上記の当方がイメージする判断をされるのではないかと思います。
…が、恐るべき事にこの国には、こういう常識も良識も何も無い、酷い人非人(つまりクズ)に自分自身がなってしまうリスクを厭わず、レイプ被害の告発者を「お前は嘘つきだ!」という趣旨の主張を繰り替えずような種類の人達が驚く程多数いるようなのです(むろん、嘘つきであることを理性的に確信しているのなら、それはそれでいいのですが…)。
「松本人志問題」についてです。
藤井聡・クライテリオン編集長日記 ~日常風景から語る政治・経済・社会・文化論~
藤井聡(京都大学教授・表現者クライテリオン編集長)