ウェブで読む(推奨):https://foomii.com/00171/2020092710431571305 ━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━ ■■■■「適菜収の徒然草」第1回■■■■ 自己啓発書100冊より『徒然草』を読め! ━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━ -=-=-=-=-=-=-=-=-=-=-=-=- つれづれなるまゝに、日暮らし、硯(すずり)に向ひて、心に移り行くよしなしごとを、そこはかとなく書きつくれば、怪しうこそ物狂(ものぐる)ほしけれ。(序段) -=-=-=-=-=-=-=-=-=-=-=-=- 学校の国語の教科書に載っている有名な一文です。 暇にまかせて頭の中に浮かんでは消えていく、なんでもないようなことを、なんとなく書いていると、だんだん自分の頭がおかしくなっていくような気分になると。 『徒然草』には、世をはかなんだ老人が、仏教思想に基づいた「わびさび」を語り、それこそ「つれづれなるまま」にエッセイを書いたというイメージがあるかもしれません。 それは違います。 兼好法師は「腐った世の中と戦え」と言ったのです。 このメルマガの目的も同じです。 「腐った世の中と戦え」です。 兼好法師は、目が見える人間でした。 人間の本性も宗教の本質もイデオロギーの核心も見抜いていた。 世の中の多くの人間は、目の前にある障害に気づかず、同じ過ちを繰り返している。 それを指摘すれば、逆に、狂人扱いされる可能性もある。 しかし、見たものは見たのである。 だから、兼好法師は、「もしかしたら自分は狂っているのかもしれない」「いや世の中のほうが狂っているのだ」と自問自答を繰り返しながら、自分が見たものを語ったのだ。 一流の人間は、すべてこのような悩みを抱えていると思う。 一流の画家は、普通の人間の目に映らないものを見てしまう。そしてそれを描く。クロード・モネのように。 一流の音楽家は、普通の人間には聞こえない音を聞いてしまう。ヴォルフガング・アマデウス・モーツァルトのように。 兼好法師もそういう人間だった。 彼が言ったのはこういうことだ。 世論に流されるな! 薄汚い人間になるな! タカをくくるな! 知ったような顔をするな! 不安に支配されるな! ひるむな! 本当のことだけを言え! -=-=-=-=-=-=-=-=-=-=-=-=- 人間の儀式、いづれの事か去り難からぬ。世俗の默し難きに從ひて、これを必ずとせば、願ひも多く、身も苦しく、心の暇もなく、一生は雜事の小節にさへられて、空しく暮れなん。日暮れ、道遠し、吾が生(しゃう)既に蹉だたり、諸縁を放下(ほうげ)すべき時なり。信をも守らじ、禮儀をも思はじ。この心を持たざらん人は、物狂ひともいへ。現(うつう)なし、情なしとも思へ。譏(そし)るとも苦しまじ。譽むとも聞きいれじ。(第112段) -=-=-=-=-=-=-=-=-=-=-=-=- 少し長い引用ですが、このメルマガでは、現代語で解説をつけますので、読めなくても大丈夫です。 要するに、兼好法師はこういうことを言っている。 人間社会のしきたりや儀礼は無視することはできない。しかし、世俗のことばかりにとらわれていれば、望みも多くなり、身体も苦しくなり、気持ちの余裕もなくなってしまう。 そして一生はこまごまとした雑事をこなすだけになり、むなしく終わる。 だから兼好は叫ぶ。 あらゆる縁を捨て去ってしまえ! 信頼関係や礼儀などクソくらえだ! キチガイと呼びたければキチガイと呼べ! 正気を失っていると言え! 人情に欠けていると言え! 人が文句を言おうが誉めようが知ったことではない! 兼好法師は『徒然草』でこういうことを言ったんですよ。 決して、ものわかりのよい老人ではない。 彼は単に「常識を破壊せよ」と言っているのではない。 世の中で「常識」とされているものは、本当に「常識」なのかを問い返せと言ったのだ。 そして、腐った社会に対し、呪詛の言葉を投げつけ、異端を貫いた。 お前らの愚劣な正体を全部見抜いてやると。 このメルマガの目的も同じです。 世の中に蔓延る愚劣な連中に対する「お前らふざけんな!」です。 兼好法師は鎌倉時代末期から南北朝時代の人間である。にもかかわらず、彼は現在の西欧思想と同じ地平に達していた。 なぜか? いつの時代においても、目が見える人間は、多くのものが見えるのである。 これを一般に「見識」という。 見識のある人間は、状況判断を大きく間違えることはない。 変なものが出てきたときにすぐに「これは変だ」とわかる。 安倍晋三や橋下徹が出てくれば、「ああ、過去の亡霊ね」とすぐにわかる。 一方、見識がなければ、いくら知識があっても、すべてを間違える。屋山太郎のように、橋下を見て、「さわやか」と口走ってしまったりもする。 では見識を身に着けるにはどうしたらいいのか? 見識のある人間の思考回路をなぞることである。 その息遣いに馴染むことである。 そこで本メルマガのコンテンツのひとつである「適菜収の徒然草」では、『徒然草』のハイライトの部分を引用し、対応する現代語訳を載せ、さらに解説やエッセイを加えた。 兼好法師の息遣いに学ぶためだ。 『徒然草』は、現代人の固定観念をぶち壊す過激な思想書だ。 書店に積まれている自己啓発書100冊を読む暇があるなら、『徒然草』を熟読したほうがいい。 //////////////////////////////////////////////////////////////// 本ウェブマガジンに対するご意見、ご感想は、このメール宛に返信をお願いいたします。 //////////////////////////////////////////////////////////////// ■ ウェブマガジンの購読や課金に関するお問い合わせはこちら info@foomii.com ■ 配信停止はこちらから:https://foomii.com/mypage/ //////////////////////////////////////////////////////////////// 著者:適菜収(作家) ウェブサイト :http://tekina.starfree.jp/ Twitter : https://twitter.com/tekina_osamu Facebook : https://www.facebook.com/profile.php?id=100004585838188 ////////////////////////////////////////////////////////////////
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適菜収(作家)