■昨日(9/27)の安倍晋三の国葬。中継を見た感想を率直に言えば、まさしく右翼の祭典で、国家の儀式で安倍晋三を神格化し神聖化する右翼の壮麗なイベントだった。安倍晋三が銃撃で横死した直後、Hanada や Will や正論などの右翼月刊誌が仰々しい追悼特集号を組んで販売していて、内容は読まなかったが、魑魅魍魎たる目次のページがおどろおどろしくネットに表出してるのが目に入り、憂鬱で不快な気分をしたものだ。今回の国葬は、その猛毒の極右雑誌に編集された内容と趣向が、3次元立体映像で構成され、役者が舞台で動いて喋り、始終がテレビで映されるという面妖な代物だった。 形式は国葬で、皇族やら自衛隊やらが引っ張り出され、箔付けの演出が過剰に施されていたけれど、中身は日本会議か統一教会の集会そのもので、日本国憲法を否定する右翼の思想とメッセージが発揚され示威された祭典だ。安倍晋三という右翼のリーダーを偉大な英雄として偶像崇拝し、国家の装置の下で正当化と普遍化を固めるプロジェクト(祀り事)だった。右翼が日本国の儀式を私物化し、税金を使い、皇族と自衛隊を動員し、公共の電波を使い、国民の弔意を強制し、安倍晋三とそのイデオロギーを絶対化する宣教を押し付けていた。あからさまな内心の自由の侵害であり、憲法19条違反である。 ■国葬まで81日も時間が空いた点について、国葬を肯定し支持する側のマスコミ論者は、間隔が空きすぎたのが失敗だったと言っている。もっと早く実施していれば、統一教会問題の非難が大きくなる前に国葬を催行でき、国論二分にならなかったと弁解し、失態の責任を岸田文雄に転嫁している。これは右翼の欺瞞と論点逸らしだ。9月27日の日程設定は、戦略目的に沿ったものであり、臨時国会の直前を意図的に選んだものである。姜尚中も言っていたが、この国葬の政治目的は、改憲発議のモメンタムを高めるところにあり、9月いっぱい改憲発議の政局を詰め、仕上げのイベントとして安倍国葬を位置づけていた。 安倍国葬で気運を頂点に持って行って、そのまま臨時国会に雪崩れ込み、発議了承(最終条文案と国民投票時期)を決める思惑だったのである。9月27日の国葬は、改憲発議の国民的意思統一の機会だった。だから、臨時国会直前でなくてはならず、戦略的にこの日程が布石されたのである。何も考えずに9月27日にしたわけではなく、武道館が空いてなかったからだの、嘘八百もいいところだ。嘘八百を撒いて大衆を騙すのが田崎史郎の役割である。統一教会問題が騒動にならなければ、9月は改憲発議の政局で永田町とマスコミが動いていた。それが、国葬を強引に推進した麻生太郎のシナリオだった。… … …(記事全文4,350文字)