… … …(記事全文7,294文字)村山富市「自社さ政権」に対抗し小沢一郎が結集した「新進党」には、石破茂、高市早苗、野田佳彦、斉藤鉄夫、前原誠司、小池百合子といった、今をときめく政治家が参加。高市は高齢者福祉政策に熱心だった
◆〔特別情報1〕
維新が自民との連立協議に急速に動き出したことで、女性初の高市総理が現実味を帯びてきたなか、51年前に下野した自民党が、まさになんでもありで誕生させた「自・社・さ政権」の総理だった村山富市元首相が老衰のため死去したことが報じられた。101歳の大往生である。
村山氏が第81代内閣総理大臣に任命されたのは1994年6月29日、その翌日に村山内閣が発足した。そしてその年の暮れには、自社さ政権に対抗する非自民の野党が結集し新進党が発足する。新生党、公明党・民社党・日本新党・自由改革連合などが結集し、同年12月10日結党された。理念は「自由、公正、友愛、共生」だった。
1994年、細川内閣のもとで公職選挙法が改正され、衆議院に「小選挙区比例代表並立制」(拘束名簿式比例代表制)が導入されることが決定しており、その選挙対応に迫られ結成された。
当初、新生党の代表幹事であった小沢一郎は新党準備委員会委員長として、新党の名称を「保守党」と名付けることを希望したが、周囲の反発により断念したという。小沢一郎は議会制民主主義のもと「保守二大政党制」を目指し、そのひとつの勢力を「保守党」とすることを心に強く描いていた。新党を準備するなか「新・新党」と呼ばれていたことが定着していたことから、最終的に同音の名称「新進党」に決まった。初代党首は、自由改革連合代表の海部俊樹元首相が就任した。
新進党結党時には、石破茂首相(新生党)や高市早苗総裁(自由改革連合)、野田佳彦代表(日本新党)、斉藤鉄夫代表(公明党)、前原誠司前共同代表(日本新党)、そして小池百合子知事(日本新党)が所属していた。ちなみに、茂木敏充は日本新党に所属していたが、新進党には合流しなかった。
筆者は、新進党結党時に、小選挙区比例代表並立制に向けた取材を重ね、「新進党教書」(1995年 データーハウス刊)を上梓した。そのなかで、新進党の船出を迎える直前の高市早苗がインタビューに応じてくれており、併せて高市事務所発行のリーフレットに書かれた文章も掲載している。その言葉からは、いまに通じる「右翼」的な側面も垣間見えなくはないが、それ以上に、熱心に思われたのは高齢化社会の福祉問題であった。
週明け21日の首班指名で、女性初の総理大臣に就任する可能性が高まってきている。ここで、新進党結成時の高市早苗のインタビューを「特別情報」として紹介しておこう。
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