… … …(記事全文2,186文字)同期生には、渡部恒三。羽田孜、綿貫民輔、海部俊樹、森喜朗らがいた。海部は三木武夫、森は福田赳夫の派閥に属した。小泉純一郎(後の位相)は出馬して落選していた。小泉は福田邸宅の書生となり、下足番を務めて、昭和四十七(一九七二)年十二月十日の第三十二回総選挙で当選を果たす。
人間の奇縁とは、異なものである。小沢一郎が昭和十七(一九四二)年五月年五月二十四日、渡部恒三が昭和七(一九三二)年五月二十四日牛まれで同じ誕生日である。このことを知った梶山静六が、二人の誕生日を名目に、自民党の一年生議員四十四人全員を赤坂の料亭「満願」に集めて、当時幹事長だった田中角栄を来賓として招いた。
板垣英憲(いたがきえいけん)情報局 ~マスコミに出ない政治経済の裏話~
板垣英憲(政治評論家)