━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━ 板垣英憲(いたがきえいけん)情報局 ~マスコミに出ない政治経済の裏話~ 2022年6月11日 ◆─── - - - - - - - - ───◆ 世界の政治・軍事・経済・金融を支配するパワーエリートの動きやその底流で 行われている様々な仕掛けなどを中心に、重要情報(特ダネ)をキャッチして速 報する。 政治評論家 板垣英憲 ◆─── - - - - - - - - ───◆ ━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━ 『ロックフェラーに翻弄される日本』(2007年11月20日刊) 第4章 レーガン大統領が「黒字減らし」を日本に求める 経済再生と景気回復に取り組んだ中曽根首相 ─────────────────────────────────── 中曽根康弘首相(当時)は1982年11月27日、政権を樹立すると、すぐに経済の再生と景気の回復に腐心し、強力なリーダーシップを発揮しようとした。 しかし、経済の再生と景気の回復には「カネ(資金)」と「土地」を動かさなくてはならない。そのためのテーマと仕掛けを懸命に模索し続けた中曽根首相は、ある文書のなかにその解を見つけた。 建設業界と鉄鋼業界が設立した社団法人日本プロジェクト産業協議会(JAPIC)が発表した報告書「社会資本整備について」と、野村総合研究所が10年前にまとめたレポートのなかにあった「都市再開発」という言葉に注目したのである。建設、鉄鋼両業界は、公共事業としての「都市再開発」を期待していたが、中曽根首相は、金融市場のカネ余り現象に目をつけ、民間資金を利用して「都市再開発」を進めるアイデアを思いつき、「民間活力の活用」という新政策を打ち出した。 時を同じくして、日本の株式市場は上向き始めていた。1982年10月1日を境に東京、大阪などで大勢上昇相場が発生。1972年秋から10年間続いてきた「不況」から脱出し、景気循環が好況へと転じたのである。 これはあくまで長年市場を見てきた者としての私見だが、日本経済は1952年の秋以降、大雑把に言えば「10年サイクル」で不景気と好景気が交互に巡ってきた。これを仮に「景気10年サイクル説」と呼んでおく。このトレンドは、以下のようになっている。(「○」は好況、「●」は、不況)… … …(記事全文2,100文字)
板垣英憲(いたがきえいけん)情報局 ~マスコミに出ない政治経済の裏話~
板垣英憲(政治評論家)