━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━ 板垣英憲(いたがきえいけん)情報局 ~マスコミに出ない政治経済の裏話~ 2021年3月6日 ◆─── - - - - - - - - ───◆ 世界の政治・軍事・経済・金融を支配するパワーエリートの動きやその底流で 行われている様々な仕掛けなどを中心に、重要情報(特ダネ)をキャッチして速 報する。 政治評論家 板垣英憲 ◆─── - - - - - - - - ───◆ ━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━ ◆「猶太思想及運動」〈上〉四王天延孝陸軍中将著 第四篇 秘密結社フリーメーソンリー 第一章 総説 第三節 標語と進み方と其の批判(4) ─────────────────────────────────── 此く考へるとルーソーの云つた、天然が平等だと云ふのは全くの誤りか。 論者は言ふであらう、水は高きより低きについて河川をなし、空気は高気圧から低気圧に向つて気流を起すのは即ち平等、平均を求むるのでこの動的の平均運動こそ平等の姿ではないかと、誠に然り世界は平均運動、平等運動は確かにある。併し之丈であつたなら世界はどうなる。利根河でもアマゾン河でも棊年(ごねん)ならずして涸渇し終るであらう。然るにここに水平を求むる運動と反対の向上運動と云ふのがある。帥ち地面海面に地熱太陽熱が加はると水蒸氣となつて高上する。それが風に送られて水源地の山地に達し、霧となり雲となり雨となり雲となつて水源地を潤ほすので、アマゾンの水も利根川の水も昆々として流れて止まない。 世に水平を求むる運動丈を説て、高上の運動を説くものが無くなれば、裸一貫の貧乏平等の餓鬼の世界が出現することは必然である。 然らば人はルーソーの言ふ如く、生れながらに果して平等か、之亦誤りである。第一に男女両性の相違を如何せんやである。又同じ男の兒(こ)にしても甲は一貫匁近くもある健康体であるが、乙は七百匁位の虚弱な体で生れるのがある。丙は脳の灰白分に優良な皺を刻んで生れて來るが、丁は両親の不良生活から宜(よろし)からざる潜在意識を持て生れて来るかもしれない。平等論者ルーソーが最も善く父イザツク・ルーソーの先天的缺陷(欠陥)を継承して居るが、あながち生後の環境強化ばかりでもあるまい。 予は此の如き見地からルーソーの平等論には反封するが、平等論全部に反封するものでは無い。 佛致にも十界平等とか、乗平等、法身平等世間涅槃平等の三平等などが説かれ、之に大なる真理を含むようであるが、専門語が這入り、粗雑な調理法で出すと不消化を起すから之を思ひ止まり、常識的、通俗的に自身の平等観を述べてフリーメーソンの流布する淺薄(浅薄)、危瞼(危険)の平等観を打破することにする。 第一に述べるのは絶対に封する平等である。一つの物と他の物とを較べ、一人の人と地の人とを較べると、どこかに差別があるのが本當(本当)である。多量に同じ型で造る弾丸でも撃て見ると極少いが差別がある。一町歩の田地と十町歩の田地とは之を較べると一と十の比が立つ程大さが違ふ、併し飛行機に乗つて五千米も高く昇つて俯瞰すれば、何れも碁盤の一つの目位にしか見えない、況んや世界地図の上に之を書き入れて見ようとしても鉛筆の先の記るし得ない程小さいので何れも平等である。まして況んや無限の空間から見れば一町歩も、十町歩も共に等しい程小さい。此の關係を数学の式で現はすと… … …(記事全文2,927文字)
板垣英憲(いたがきえいけん)情報局 ~マスコミに出ない政治経済の裏話~
板垣英憲(政治評論家)