□■□■【反骨の元外交官が世界と日本の真実をリアルタイム解説】 ■□■ □■ 天木直人のメールマガジン2011年6月6日発行 第392号 ■ =============================================================== 狩野亨吉(こうきち)と安藤昌益の思想 =============================================================== 久し振りに講演を頼まれてこの週末奥三河を訪れた。 その時講演会場で一人の老学者から自らが書いた「狩野亨吉・ 安藤省益の思想」という201年1月12日の朝日新聞の記事 のコピーを手渡された。 その老学者の名前を仮にS名誉教授としておこう。 S名誉教授がそこで述べている内容は、私が常日頃探し続けて いる漠然とした考えを見事に言い当てている。 うまく要約できるかわからないがこの短いメルマガで読者に その記事の内容を紹介してみたい。 狩野亨吉(こうきち 1865-1942)をいまどき知る人は 少ないが次のような輝かしい経歴の学者、思想家だ。東大の理科と 分科を出て漱石と五高(熊本)に務め、34歳の若さで一高校長に 抜擢され、さらに京大文科大学が創設されたとき学長に就任する。 その狩野は江戸時代の思想家である安藤昌益を発見し、その思想 に影響され新しい人生を歩み出す。 学長を辞した後、昭和天皇が皇太子であったころの教育掛に推さ れたが、自分は危険思想の持ち主だといってこれを固辞し、すべて の官職を離れた狩野は書画の鑑定業をしながら隠れて生きた。曇り ない理性で軍国日本の末路を予言しながら、誰にも看取られること なく昭和17年に77歳の人生を終えたという。 学職の最高峰にあった狩野を、その輝かしい前半生から決別させ、 「危険思想家」としてのわびしい後半生に向かわしめたのは安藤昌 益の思想である。 封建制の時代に、万人が労働する「直耕」によって、支配者のい ない理想的な「自然の世」に至るという安藤昌益の破天荒な思想を、 狩野はいっとき「狂人」扱いした。 しかし、このいわば平和的な革命に普遍的妥協の精神を見て共感 した狩野は、昌益の思想でもって生きようと心に決める。 以来狩野はこれまでのエリート身分を自己否定し、昌益とふたり がかりの姿勢で、自然を征服しようとする文明に警鐘を鳴らす生き 方に徹した。 狩野は昌益に成り代わったかのように一体化し、そしてただ昌益 の思想をなぞるだけではなく自らの解釈を加えて語り続けた。 ここまでは狩野と昌益の関係を述べた事実描写である。 私が注目したのは昌益の思想と、それに共鳴してその思想を深化 させた狩野の二人に自らの考えを重ね合わせたS名誉教授の次の 言葉である。 「この世の中で男女(と書いて昌益はヒトと読む)、善悪など 一対である以上、自他互いに相対性にめざめ寛大にふるまうことは、 人間に対してだけではなく、人間が自然と交わる場合も同じである。 そうでないとついには人間の社会はなりたたない。 このような思想の実現は、たやすいことではないが、長い目で見て、 自然環境を回復させ、衝突の起きない理想の世をつくるだろう。 それは人間が地球にすまわせてもらっている、この世に生かしてもら っていることを悟った深い知恵ではないか」。 そう語るS教授もまた狩野や昌益の思想の体現者であるに違いない。 了

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