□■□■【反骨の元外交官が世界と日本の真実をリアルタイム解説】 ■□■ □■ 天木直人のメールマガジン2011年2月24日発行 第133号 ■ ================================================================== 北方領土問題を解決不能にした菅民主党外交の無策 ================================================================== 久しぶりに勉強になる記事を見つけた。 2月23日の朝日新聞「記者有論」で副島英樹モスクワ支局長 が書いている北方領土問題についての論説記事だ。 彼はまず、ロシアは少なくとも菅政権に対しては北方領土問題の 交渉を閉じたと断言する。 私が勉強になるというのは、その後に続くその理由である。 そしてそれはそのまま菅民主党政権の対ロ外交の無策、失策で もある。 副島氏はまず菅首相の「許し難い暴挙」発言を挙げる。あの言葉が ロシアの対話拒否を決定づけたという。 その理由をはじめて知った。 「暴挙」という日本語はロシア語で「グルーボスチ」と訳されたと いう。 このロシア語の言葉は「なんて乱暴な!」といったニュアンスで 夫婦喧嘩によく使われる激しい言葉だと言う。 ラブロフ外相が「非外交的」と激しく反応したのはそのためだったと 言うのだ。 果たして外務官僚はこの事を正しく理解して菅首相や前原外相に 伝えていたのだろうか。 外交の命は言葉である。 その後も相も変わらず強硬発言を続けている前原外相を見ると、 外務官僚も前原外相も、外交における言葉の重要性に鈍感すぎるよう に思える。 二つ目の日本の失策は、これも私は知らなかったのだが、前原外相 が、日ロ間の歴史専門家委員会を設置しようとするロシアの提案を 拒んだことだ、と副島氏は言う。 日中、日韓では既に歴史認識についての共同研究が行なわれている。 日ロの間でも2009年秋に有識者が共同研究の着手を決めており、 財政支援さえあれば進む下地はあったという。 それをなぜ前原外相は拒否したのか。拒否する理由はどこにもない。 設置する事で失うものは何もない。 この一つとっても明らかように、前原外相の独善的な態度が対話の糸口 を遠のけたと副島氏は言うのだ。 同感だ。北方領土問題の争点がポツダム宣言やサンフランシスコ条約の 成立過程にある事を考えれば、なお更である。 外務官僚は前原外相に設置受け入れを進言しなかったのだろうか。前原 外相にへつらって沈黙していたとすればあのイラク戦争の際に小泉首相に 沈黙したのと同じだ。保身が正しい外交を曇らせている。 そして三番目に、これが最も重要で驚きであるが、副島氏は決定的な 理由を挙げている。 北方領土問題の本質である歴史認識において、日本は弱みを持っている というのだ。 これも私ははじめて知った。 すなわちサンフランシスコ平和条約で日本が領有権を放棄した 「千島列島」に、国後・択捉両島が含まれるかどうかが北方領土問題問題 の核心部分であることはいうまでもない。 そしてその解釈が曖昧なままに放置されてきたのは、米英の日ロ分断作戦 にあったことも歴史は教えてくれている。 この点こそ日本が譲れないところだ。 ところが、日本政府の認識を示した秘密外交文書(1946年)がオースト ラリアで94年に公表され、最近になってロシアの研究者が注目し始めた という。 問題はその秘密外交文書においては、「千島列島」には国後、択捉両島が 含まれるとの日本政府の認識が示されているという。 つまり日本政府は国後、択捉の領有権を放棄していたというのだ。 そして日本の外務省は、今後の平和条約交渉に支障をきたす恐れがあると してこの問題について「応答拒否」をしているという。 これではとても北方領土は返って来ない。 いずれプーチン首相が北方領土を訪れるという。 それがすでにメディアで報じられている。 メドベージェフ大統領の時とは違って、今度は情報不足のせいにする事は 出来ない。 分かっていながらプーチン首相の北方領土訪問を止めさせられない。 そしてプーチン首相が北方領土を訪問しても何も打つ手がない。 菅民主党政権の対ロ外交の無策は、たとえその後にどのような政権が日本に 出来ようとも、北方領土問題をロシア側と交渉する可能性をすっかりなくして しまったことだ。 今までの積み重ねが吹っ飛んでしまった。 菅政権の外交無策の責任は深刻である。 了

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