□■□■【反骨の元外交官が世界と日本の真実をリアルタイム解説】 ■□■ □■ 天木直人のメールマガジン2010年12月11日発行第250号 ■ =============================================================== 「日米同盟という欺瞞、日米安保という虚構」書評(3) =============================================================== 中野の書の魅力は不要な議論を一切排除し、国会における政治家や官僚の 答弁を引用しながら日米安保や日米同盟の虚構、欺瞞を白日の下にさらして いる事である。 中野氏は言う。70年安保をかすかに記憶する私、ましてや60年安保の 記憶はカケラもない私が、冷戦崩壊の記憶のカケラもない20歳前後の世代 に向かって安保を語る。 日米関係や安保問題の専門家でも何でもない私が日米同盟を語る。 その際の根拠はこの国の政治家と官僚が語る言葉しかない。だからその書を 書くにあたって最も参考にしたのは国会の議事録である。 そう語る(298頁)中野氏が訴えたかったのは、政治家、官僚の言葉の 虚構さである。その詭弁である。 中野氏は、政治家の言葉を引用して事実上の日米軍事協力である日米安保 条約は日米同盟ではないと次のように言う。 「今度の新しい安保条約が・・・軍事同盟であるというふうな議論が ございますが・・・そういう性格のものではないのであります。あくまでも これは国連憲章にいうところの、不当な武力攻撃に対処してこれを排除する 純防衛的なものでございまして、かくのごときものを軍事同盟というような 表現をすることは、これは実体を誤るものであると考えております・・・ この条約は軍事同盟ではない」(岸首相の1960年2月3日参院本会議 での答弁) 「再軍備はいたさない、憲法に禁止されておるごとき戦力を持つ軍隊は持た ないということは、しばし申した通りであります。従って、いかなる国に対し ても軍事同盟をいたす考えはありません。(吉田首相の1954年1月26日 衆院本会議での答弁)。 新旧安保を作った二人の首相が日米安保条約は軍事同盟ではないと国会で 言い切ったのである。 そして安保条約改定から11年後の1981年、鈴木善幸首相もまた次の ように国会で語った。 「日米関係を同盟関係と表現したからと言って、それが現在の日米関係の 枠組みを変えるような新たな軍事的意味を持つものではありません。(今回 発出された米国大統領との日米)共同声明(註:1981年訪米時にレーガン 大統領との間で発出した日米共同声明)に(言うところの)日米両国の同盟 関係は、友好関係に比し基本的に相違があるわけではなく、友好親善関係を 更に強調し、世界の平和、繁栄という共通の目的のもとに緊密に連帯協調して いるという・・・関係を特に示した表現でございます・・・」(1981年 5月15日衆院本会議) ところが、これが米国に疑念を抱かせる事になり外相が引責辞任する混乱を 招くのである。 鈴木首相は翌年早々と退陣し、その後の中曽根首相の出現により軍事同盟と しての日米同盟が事実上定着していくのである。 中野氏は言う。日米同盟の中身は官僚が米国の意向にあわせてその都度 どうとでも決める。政治家はそれをオウム返しに語るのである、と。 了
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