読者の声 消費者は決起せよ、という私の昨日のメルマガに対して寄せられた 読者からの声を紹介したい。 政治の場における民主革命の試みは、国家権力の激しい抵抗にあい、 その力が不十分な場合は、かえって国家権力の強化をもたらしてしまう、 その危険性を見抜いたところが極めて的確だと思い、ここに全文を引用 したい。 やはり革命というものは一気呵成に成功させなければならないのかも 知れない。 今度の民主党の動きが腰砕けになればより悪い日本の政治状況が末永く 続くことになるということだ。 国家の抵抗を、権力を手放さない、保身の「自己免疫力」という表現 したところは言いえて妙である。 ・・・天木さん、本当にそのとおりと思いました。大手企業、メディア (巨大資本)と政府(国家)の結託、非常に強固なものを感じます。 資本と国家がそれぞれ、自己に対して共に自覚的な強固な「枠作り」、 「結束」を行う(資本と国家の不正義と結託)その一方で、それぞれに対峙 する大多数の国民、人々はばらばらに分断され(したまま)、消費という 優位な立場での抵抗すらも、資本と国家の結託(エコポイント)でそこから 巧妙に引きずり下ろされようとしていると思いました。 「国家」に「国民」の視点を導入しようとする(小沢氏から田中康夫氏まで) 政治の一方で、しかし国民が「国民」という立場を有効に活かし、「国民」 としての抵抗を捨てることなく(政治=国家の内側から変えようとするのでも なく)、「国民」の内側でより強固な横のつながりをつくりだし、「国家」 と「資本」により強力に間接的に変更を迫ることができないでしょうか。 そう考えたとき、湯浅誠さんは既存の政治、「国家」の内側に介入するよりも、 「国民」の側にむしろ立ちつづけることで(例えば現在の天木さんのように)、 今までとは違う、現在の政治や経済、「国家と資本」に抵抗し変更を迫る 新しい「国民」の枠作りを打ち出すことが可能なのではないかとも思います。 その一方で、国民=消費者を重視しようとする小沢氏や田中氏のように、 「国家」の枠内に国民の視点を導入しようとすることは、「国家」を「国民」 の側に取り戻そうとする正義である一方で、「国家」の自己免疫作用や抵抗、 権力を強力に作動させてしまう(小沢問題における官僚組織の抵抗のように)、 それは結果的によりいっそう強力な「国民」に対峙する「国家」に変化させて しまう負の側面をもってしまうとも思いました。 仮に、政権交代が起きなければ、そのようなより強力な自己免疫作用を もった「国家」を生んでしまい、より強く「国民」に対峙する「国家」を 作らせてしまうのではないか、そういう気もしなくもありません。 「国家」を内側から改善しようとすることはアクロバットな正義である一方で、 「国民」という存在、枠を弱めてしまい、場合によってはより強固な「国家」を 生んでしまう、そんな望まない負の側面もあわせもってしまう気がいたします。 (例えば、かつての国家による社会主義や共産主義は、「国民」という枠を 既存の「国家」に取り込むことで「国家」を内側から改善しようとした半面、 「国家」に抵抗する「国民」という枠組みを解消してしまったことが、むしろ 「国家」をより強固なものにし、「国民」の抵抗を根本から弱体化させた側面 も大きかった気がします。過去のロシアと中国の時代を、まさにシーラカンス のように現在も生き反復する北朝鮮がその典型だと思えます。) 政治における小沢氏や田中氏らの活動のあり方の一方で、あくまでも、 「国民=消費者」側に立ち、「国民=消費者」という枠を大切に守り、その 内側から間接的に「国家」に変更を迫ろうとするベーシックな正義、その ような内側での横のつながり、ネットワークをより強固につくれないだろうか、 そう考えたとき、天木さんや湯浅さんらのご活動は大変おおきな意味をもって いるとあらためて思いました。 「国民」が自らの枠を失ってしまうことなく、いかに国民が国民の側から 「国家」への監視と抵抗、かつ消費者としてもう一方の巨大な「資本」への 監視と抵抗を自らが保ち、そして間接的に「国家」と「資本」に大きな変更 を迫る。「国民」という枠を守り、それをより強くすることは、そのような 大変ベーシックで重要なことなのではないかという気がいたしました。湯浅さん や、そして天木さんのようなかつて「国家」の中枢におられた方々が大きく横に つながり、あくまでも「国民」の内側から、根本的な正義をつくる、リーダー シップ的存在になってほしいとあらためて思いました。 長々と門外漢の私見を失礼いたしました。本日からはじまる天木さんの メルマガ懇親会がそのような大きなネットワーク、あたらしい アソシエーションのかたちに発展することを期待したいと思います。

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