天木直人のメールマガジン ─反骨の元外交官が世界と日本の真実をリアルタイム解説 2009年3月9日発行 第0092号 日米合作の例がまた一つ見つかった 私は3月6日のメルマガ第0087号で、日米関係はことごとく日米合作で つくられてきたと書いた。その例がまた一つ明らかになった。 3月8日の東京新聞にこのような記事があった。私は知らなかったのだが、 1945年の東京大空襲による犠牲者の遺骨約10万5千柱は、戦後、 関東大震災(1923年)の犠牲者が納骨されている震災記念堂に合葬される 事になった。空襲犠牲者の遺族から「間借りだ」と批判されている、いわゆる 「震災・戦災合葬」である。 この合葬案は、これまでGHQが考えた案とされていた。ところが長志珠絵 (おさ しずえ)・神戸市外国語大准教授(歴史学)がGHQの文書を研究した 結果、それは日米合作の案であったというのだ。 東京新聞によればこうである。 1947年6月、井下清東京都慰霊協会常務理事がGHQと会談、仮埋葬されて いた遺体を火葬し、「戦死者の遺骨と共同埋葬したい」と要望した。これに対し GHQは、軍国主義復活などを理由に一端は難色を示した。その後GHQは 11月になって、「旧軍用地ではなく公共墓地が適切」という条件つきで、軍人 との合葬自体は容認すると返答をしてきた。 本来ならばこの時点で戦死者と空襲犠牲者の合葬が可能であった。ところが協会 のキノシタ氏が「空爆犠牲者の遺骨収容のため震災記念堂を拡張する予算を東京都 が提供する事は可能か」と提案し、GHQは「以前の案より不見識ではない」と理解 を示した、という。 GHQの文書は、井上氏とイノシタ氏の混乱があり、また文書も途中で途切れて いたりして、推測せざるを得ない部分も残っているが、どうやら震災・戦災合葬は 日本側が言い出し、GHQがそれを了承したという構図が浮かび上がってくる。 日本側が妥協案を出し、それを米国側が了承するという「日米合作」のもう一つの 例である。 重要な事は、長准教授が語っている次の言葉だ。 「GHQの文書から分かるのは、日米とも元兵士にくらべ、空襲被害者に対する 関心がほとんどないことです・・・(合葬をめぐるGHQとの交渉の一方で) 空襲犠牲者の遺骨の身元調査すらしなかったため、戦後補償や追悼問題などを 解決する可能性が閉ざされた。占領軍とともに、日本政府も問題を隠蔽してきた・・・」。 日米合作で生み出された追悼政策は、そのほかの政策と同様に、常に 「日本国民のため」という視点が欠落している。それが問題なのである。

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