… … …(記事全文3,904文字)韓国政府の李承晩はアメリカ政府がサンフランシスコ平和条約草案を作成していることを聞きつけ、講和会議に出席資格のない韓国が、平和条約草案が韓国が有利になるようにアメリカに対して要望を出し続けましたが、その中には竹島を韓国領であると認めて欲しいというものも含まれていました。
韓国政府がアメリカに対して要求していたことは大きく分けて以下の通りです。
①竹島と波浪島に対するすべての権利、主権及び請求権を1945年8月9日(日本によるポツダム宣言受諾)の時点で放棄したことにすること。
②在韓日本資産(日本の残置資産)を韓国政府および米軍政庁に移管すること。
③マッカーサー・ラインの継続を日本国との平和条約で認めること。
※波浪島(バラン島)なる島は韓国側が捜索しても見つかりませんでした。
それに対して1951年(昭和26年)8月10日付でアメリカ政府(ラスク国務次官補)が韓国政府(梁裕燦駐米韓国大使)に送った回答がラスク書簡です。
「ラスク書簡」は平和条約調印の一ヶ月前の1951年8月に米国政府が韓国政府に送った公文で1951年4月から5月にかけて行われた米英事務レベル協議の結果、5月3日付で作成された米英共同草案第2章領域の第2条では、「日本国は、朝鮮(済州島、巨文島及び欝陵島を含む)、〔略〕に対するすべての権利、権原及び請求権を放棄する。」とされた。その後、同年6月14日付で作成された改訂米英草案第2章領域の朝鮮放棄条項は、「第2条(a) 日本国は、朝鮮の独立を承認して、済州島、巨文島及び欝陵島を含む朝鮮に対するすべての権利、権原及び請求権を放棄する。」に変更となりました。
ここで一つ、韓国官製の反日サイト(東北亜歴史ネット)などでは「ラスク書簡は連合国全体の意見ではなく米国だけの意見であり、独島領有権を決定するにおいていかなる効力ももちえない」などと主張していますが、これは事実誤認で、実際には米英による実務協議の結果、作成されていました。
米英事務レベル協議は1951年(昭和26年)4月25日から5月4日にかけて行われ、共同草案について概ね合意に達しています。日本による朝鮮の放棄に関する規定についても、この協議で一致、米国と英国の双方の趣旨が反映された折衷案となっています。
1951年7月19日、韓国は、米国務長官宛書簡で、竹島を朝鮮領とすること等を内容とする修正を要請し、第2条(a)の「済州島、」以下を、「朝鮮並びに済州島、巨文島、欝陵島、ドク島(Dokdo)及びパラン島を含む日本による朝鮮の併合前に朝鮮の一部であった島々に対するすべての権利、権原及び請求権を1945年8月9日に放棄したことを確認する」というように改めて欲しいというものでした。
この韓国の修正要求に対し、米国は1951年8月10日に「ラスク書簡」を発出し、竹島に関する要求については明確に却下、日本領であるとの認識を示した上で拒否すると回答しました。
改訂米英草案第2条(a)は再改訂されることなく、平和条約で竹島は日本の領土に残されました。
※つまり米英両国の意思によって竹島は平和条約において日本領とされたのです。
ラスク書簡はアメリカ国立公文書館に保管されている公文で、すでに公開済みなので、日本がこれを論拠の一つとして竹島の領有を国際司法の場で主張されると戦前の話ではなく、戦後レジームの中で竹島が連合国合意の中で日本領と確認されたわけなので、非常に不利となるのは明白なので日本が公正な解決のため1954年、1962年、2012年の計3回、国際司法裁判所(ICJ)への付託を韓国へ提案しても、韓国側は「領土問題は存在しない」として拒否して逃げ回っています。
