… … …(記事全文2,339文字)読者に問いかけるような題で始まりましたけど、江戸時代、写真のことを何と呼んでいたか。
日本に外国人によって写真技術が伝えられた江戸末期に、その写真のことを何と呼んでいたのか気になりませんか? 現代の写真・カメラ技術の概念がない頃の話ですよ。
実は筆者が小学生の頃に抱いていたプチ疑問でもありました。
答えはなんと「写真」です。
写真という単語は、「真(本物)を写す」という意味ですが、カメラ技術の到来した幕末以前から日本画の世界に存在していて、対象の姿(被写体)やその精髄を精巧に描き出す、写生や肖像画(真影)を指す言葉で対象をありのままに捉える姿勢を重視した、日本画の描写精神そのものを表した単語でした。なので「写真」「写生」「真写」は絵画の世界ですでに使われていた言葉でした。
簡単に言えば当時は「もっと写真して描きなさい」的な使われ方だったように思います。
カメラは1788年、蘭学者の大槻玄沢が著書「蘭説弁惑」の中で「写真鏡」と和訳して仕組みと図版を掲載し、杉田玄白も1815年に「写真鏡」として紹介しています。
写真技術を我が国に持ち込んだのは外国人ですが、日本人が最初に写真技術に取り組んだのは鹿児島の薩摩藩だったと言われています。
西洋文化が大好きだった島津斉彬が写真技術の研究を命じ、自ら被写体となって写真草創期の銀板写真技術(ダゲレオタイプ)での撮影に成功しています。
撮影は安政4年9月17日に行われ、『斉彬公御言行録』には、「翌十七日、天気晴朗、午前ヨリ御休息所御庭ニオイテ(此日ハ御上下御着服ナリ)三枚奉写。とあります。
撮影の様子。撮影者は薩摩藩士 宇宿彦右衛門と思われます。
この時代、写真を撮られると魂が吸い取られると本気で信じていた人がいたそうですが、西洋文化が大好きな島津斉彬はフランスでの銀板写真の発明を聞きつけるといち早く輸入をしたようです。
この時代のカメラレンズは非常に暗く(F17程度)、露光時間は現代の秒以下の速さではなく銀版に写し撮るのに日中の屋外でも10 分以上かかっていたようです。
江戸時代のポートレート作品に無表情のものが多いのは分単位の露光時間を笑顔のまま保持するのは至難の業(というより無理ww)なので無表情なのが多いのです。
銀板写真(ダゲレオタイプ): 1839年発表。銀メッキした銅板をヨウ素蒸気で感光させ、水銀蒸気で現像する「1点もの」。
湿板写真(コロジオン湿板): 1850年代〜。ガラス板(または鉄板)に薬品を塗り、濡れた状態で撮影・現像する。
乾板写真(かんぱん): 1870年代〜。乾いた状態で使用できるガラス乾板。
湿板写真時代になって露光時間が30秒ぐらいに短縮されましたが、それでも静止状態を30秒保持するというのは大変なことだったと思います。


