… … …(記事全文4,581文字)「多様性(ダイバーシティ)」や「包摂(インクルージョン)」、そして「寛容(トレランス)」。現代社会において、これらは反論の余地がない絶対的な善として語られてきた。
しかし、日常の中でふとした不気味さを覚える機会も増えた。
「多様性」を一番熱心に主張する人々が、自分と異なる政治的意見や価値観を持つ人間に対しては、一切の猶予もなく苛烈な攻撃を加えるからだ。
例えば、SNSで左派にとっての不適切な表現をした者を徹底的に社会から抹殺する風潮や、大学の講義や国際会議において、特定の保守的・伝統的な主張を「ヘイトスピーチ」と断定し、登壇すら許さない言論封殺などが、その例だ。なぜ、「寛容」を掲げる人々が、これほどまでに不寛容になれるのだろうか。なぜ彼らは、自分たちの反対意見を「議論の対象」ではなく「排除すべき悪」として処理するのか。
これは単なる「行き過ぎた過激派の暴走」や「ネット上の感情論」ではない。実は今から半世紀以上前、思想史の表舞台に仕込まれた「不寛容を正当化するための緻密な理論的トリック」が存在したのだ。
その仕掛け人こそ、1960年代の新左翼運動(ニューレフト)に圧倒的な影響を与え、「Woke(ウォーク)カルチャーの精神的父親」とも呼ばれたドイツ出身の哲学者、ヘルベルト・マルクーゼであった。
下記を読めば、ヘイトスピーチもDEIも全てはマルクーゼによる罠だったと確信することになる。
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