… … …(記事全文8,613文字)1990年代末、ポール・クルーグマンはデフレに喘ぐ日本に対し、中央銀行がインフレ目標を掲げて大規模な金融緩和を行えば、期待インフレ率が上がって実質金利が低下し、通貨安を通じて経済が復活するという処方箋を提示した。
この理論は後に第二次安倍政権が掲げたアベノミクスの理論的支柱となり、発足当初のクルーグマン自身もデフレ脱却に向けた英断としてこれを絶賛していた。当時のクルーグマンにとって、金融緩和に伴う円安は自国経済を破綻から救うための正当かつ不可欠な政策伝達経路に他ならなかった。
しかし、2010年代半ばを過ぎるにつれ、クルーグマンの主張からはかつての単純な円安肯定論が影を潜めるようになっていったのだ。
彼自身が分析枠組みをアップデートせざるを得なくなった背景には、日本経済が直面した構造変化が存在した。
かつてクルーグマン自身がヒステリシス(履歴効果)理論で指摘した通り、超円高期などを経て一度海外へと生産拠点や現地販売網を移転させた企業は、その後にいくら円安が進もうとも易々と国内へ生産を戻さなかった。
結果として、アベノミクス下で記録的な円安が進行したにもかかわらず、日本の物理的な輸出数量は期待されたようには伸びなかったのだ。
岸田政権以降も同じだ。
輸出数量が増えない一方で、通貨安は原油や食料をはじめとする輸入コストをダイレクトに押し上げ、交易条件の悪化を通じて家計の実質購買力や企業の利益を圧迫する副作用ばかりが目立つようになった。こうした現実を前に、クルーグマンは円安による外需拡大の限界を認め、金融緩和や為替頼みではなく、積極的な財政出動による内需創出と実質賃金の引き上げへと自らの論旨の軸足を明確に移していったのだ。
同じくリフレ派の重鎮であるベン・バーナンキもまた、FRB議長としての実務とリーマン・ショック後の経験を経て、金利がゼロ付近に張り付く非常時を脱した後は、将来の不況に備えた政策余地(利下げ余地)の確保と、インフレ目標達成後の段階的な金利正常化こそが重要であるという立場へと移行していた。
バーナンキが「ゼロ金利という非常時からの脱却」や「金利正常化による政策余地の確保」を重要視する立場を明確に示したのは、FRB議長退任後の2015年から2017年頃にかけてのことだ。
以下、バーナンキやクルーグマンは、円安上等論や利上げ否定論を、とっくに訂正していたことを公式なソースのURLと共に紹介する。
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