… … …(記事全文4,192文字)2026年7月4日、アメリカは独立宣言から250年の節目を迎えた。半年周期にも満たないこの節目の中で、改めて問い直したいことがある。それは「アメリカとは、結局のところ何によって一つの国家であり続けてきたのか」という問いだ。
共通の民族も、共通の宗教も、共通の歴史的記憶さえ持たない移民国家が、250年間分裂せずに存続してきた背景には、一つの答えがある——「法律」そのものが、この国の共通言語であり、文化の代替物だったということだ。アメリカの歴史を振り返ると、「なぜそこまで法律で規制しようとしたのか」と驚かされる立法が少なくない。禁酒法(修正第18条)のように、社会問題を法律だけで解決しようとする発想は、アメリカ史の中で何度も繰り返されてきた。これは一時的な政治現象ではなく、アメリカという国家が持つ「リーガリズム(法中心主義)」という文化的特徴の表れである。まずはその代表例を見ていきたい。
1. 反進化論法(バトラー法・1925年)
禁酒法とほぼ同じ時期、宗教的・保守的価値観の高まりの中で制定された法律だ。テネシー州では、人類が進化したと教えること自体が違法とされた。この法律にあえて反して進化論を教えた教師ジョン・スコープスは逮捕され、この「スコープス裁判(猿裁判)」は全米を巻き込む大論争となった。ちなみに、この法律は1960年代まで存続した。2. 異人種間結婚禁止法(各州法)
現在では信じ難いことだが、多くの州、とりわけ南部では、白人と黒人、アジア系、先住民族などとの結婚だけでなく、同棲や性交渉まで刑事罰の対象としていた。単に結婚を認めないのではなく「犯罪」として処罰した点が極めて特徴的だ。この制度が違憲とされたのは1967年の最高裁判決であり、それほど昔の話ではない。3. コムストック法(1873年)
道徳を国家が法律によって強制しようとした代表例である。この法律は「猥褻または不道徳な物品」の郵送を禁止したが、その対象には避妊具、避妊に関する情報、医学書、女性の健康に関する手紙まで含まれていた。結果として、医師が患者へ避妊指導を行うことさえ事実上困難となり、公衆衛生や女性の権利に大きな影響を及ぼした。この法律は連邦法として条文自体は今も残っているが、1965年のグリズウォルド判決や1972年のアイゼンシュタット判決によって、避妊に関する規制部分は実質的に骨抜きにされている。つまり「亡霊のように条文だけが生き残っている法律」であり、それ自体がアメリカの法文化の奇妙さを物語っている。
ならば、なぜアメリカでは極端な立法が繰り返されるのか?
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