… … …(記事全文5,972文字)「気持ちよかった~。しらすの釜揚げみたいだった。ほ~んとさっぱりした」
ホームホスピス入所から3日後、叔母が待ちに待った機械浴での入浴があった。横たわったままベッドからストレッチャーに移動し、そのままリフトで湯舟に沈めてくれる。その様子を、叔母は「しらすの釜揚げ」にたとえて笑ったのだ。
叔母がお風呂に浸かれたのは、およそ3ヵ月ぶりだった。がんと聞いて3月中旬に電話したとき、叔母は「脚を上げられないので、湯舟に入れない」と嘆いていた。機械浴で浸かった時間はたった4分ほどだったそうだが、叔母にとっては念願のお風呂だった。
ホスピスに入ってからしばらく、叔母は穏やかな日々を過ごしていた。その叔母の姿を見るため、私は1日か2日おきに千葉の自宅から車で3時間ほどかけてホスピスへ通った。叔母が自ら望んだとはいえ、慣れない部屋であるのは間違いない。しかも歩くことができず、自由に部屋の外へ出ることもできない。この施設を勧めた私としても、叔母に寂しい思いをさせるのは嫌だった。
叔母が住むホスピスは住宅街の入り組んだ路地の中にあった。幹線道路から脇道へ入り、車がすれ違うのも困難な細い道を抜けると、2階建ての真新しい建物が見えてくる。敷地内の駐車場に車を停めて、その足で真っすぐ「マスカット」と名付けられた叔母の部屋へ向かう。家族専用のカードキーをもらっていたので受付をする必要はなく、24時間365日いつでも自由に出入りすることができた。
部屋の扉を開けると、いつも真正面の定位置に叔母の顔があった。叔母は電動ベッドを起こしてテレビを見ていたり、スマホをいじったりと自由に過ごしていた。目の前に、病室で食事をするときに使うサイドテーブルがあり、その上に水、スマホ、ティッシュ、ウエットティッシュ、ハンドクリーム、高カロリー飲料、ペットボトルのサイダー、小銭入れ等々、叔母の必要なものが並べられていた。
叔母は私に気づくたびに、「ま~た来たの? そんなに来なくていいのに」と言った。3時間もかけて車でやってくる私を、気づかってくれているのだ。せっかく施設に入ったのだから、遠いところから足繁く通わなくてもいいよと、言外に伝えようとしているのが分かった。
「いやいや、僕が顔を見たくて来てるから。勝手に来てごめんね。来てほしくない?」。そう言うと、
「そんなことないよ~。いつもありがとうね」
と優しい顔を向けてくれた。そして、いくつかおつかいを私に頼んだ。私も叔母の役に立つのが嬉しかった。叔母がよく「買ってきて」と言ったのが、ファンタグレープ、ハーゲンダッツ、そしてガリガリ君だ。
ファンタグレープは、ホスピスの敷地内に設置されてる自動販売機で売られていた。「炭酸を飲みたい」というので買ってくると、叔母は「喉がすっきりして美味しい」と喜んだ。叔母は一度に全部は飲めず、いつもプラスチックのコップ3分の1ほどの量で満足した。
ハーゲンダッツは家にいるときから好んで食べていたので、ホスピスでも共用の冷蔵庫の冷凍室に常備するようにした。バニラのほかにストロベリーやピスタチオなども買ってきたが、叔母はバニラ以外食べなかった。叔母に言われてサイドテーブルに置くと、スプーンで少しずつ掬い、一口ずつ味わうように食べた。そして必ず、「徹ちゃんも食べて」と言った。いつも「僕はいいよ」と断ったが、お言葉に甘えて1回だけ叔母と一緒にハーゲンダッツを食べた。
これと一緒に冷凍室に常備したガリガリ君も、叔母は「口がすっきりする」と言ってよく食べた。私は、がんの終末期の人がガリガリ君を好んで食べることを、いくつかの闘病記で読んで知っていた。終末期の人は脱水気味になり口が乾きやすいので、冷たくてすぐに口の中で溶けるガリガリ君が美味しく感じるのだろう。なので、ハーゲンダッツと一緒にファミリーパックを買っておいたのだ。
叔母に言われて冷凍庫から取って来て渡すと、叔母はガリガリ君をゆっくりと口に運び、力強く顎を動かしてかみ砕いた。そして、口の中にたまった水分を、ゴ、ク、リと飲み込んだ。嚥下機能が弱っていたので、飲み込むときは苦しそうな顔をした。

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