… … …(記事全文7,196文字)日本的組織の欠陥
【要旨】
戦後八十一年、日本はふたたび「実質的な敗戦」とでも呼ぶべき国力の衰退に直面している。砲弾は降らない。だが、じわじわと国家が痩せ細っていくこの感触は、どこかあの敗戦を思わせる。
そこで思い当たるのが、現場がどれほど超人的に奮闘しても、中枢の無能がすべてを台無しにするという、日本的なパターンだ。
本号では、この見立てを史実に照らして検証する。周囲の猛反対を押し切って一個人が無謀な作戦をごり押しし、国家戦略そのものを破壊した真珠湾とインパール。その自滅の構造は、はたして過去のものなのか。
再び、実質的敗戦か
戦後まもなく八十一年になる。焼け跡から立ち上がり、世界第二の経済大国にまで上りつめた国が、いまや長い停滞と人口減少のなかで、相対的な地位を静かに下げ続けている。
砲弾が降るわけではない。だが、国力がじわじわと削がれていくこの感触は、もう一つの敗戦を思わせる。
不思議なのは、個々の日本人や個々の現場が、決して劣っているわけではないことだ。むしろ世界的に見ても勤勉で、誠実で、技術も高い。それなのに、国家や組織の総体としては、しばしば自滅的な結末へと滑り落ちていく。
この既視感は、どこから来るのか。
「現場は優秀、中枢が無能」という見立て
多くの人がこう感じている。日本は現場が強い。だが、その超人的な努力を、無能な中枢がことごとく台無しにする、と。
これは心地よい見立てでもある。「悪いのは上であって、我々現場ではない」という自己弁護になるからだ。
だからこそ、安易に頷く前に史実で検証する価値がある。本当にそういうパターンは存在したのか。存在したとして、その正体は何だったのか。
検証の素材として、これ以上ふさわしいものはない。太平洋戦争を象徴する二つの作戦、真珠湾とインパールである。
検証(一)反対を押し切った、二つの作戦
この二つには、奇妙な共通点がある。どちらも、組織内部に強い反対があったにもかかわらず、ほぼ一個人の意思で押し通された、という点だ。
真珠湾攻撃は、海軍軍令部が危険視するなか、連合艦隊司令長官・山本五十六が辞任までちらつかせて呑ませた作戦だった。インパール作戦は、上層部も周囲の指揮官も「無謀」と警告するなか、第十五軍司令官・牟田口廉也が強行したものだ。
合理的な計算の府であるはずの軍隊で、なぜ一人の意思が組織全体の慎重論を上書きできるのか。
これは個人の資質である以上に、その暴走を止められない構造の問題である。
検証(二)端緒は満州事変 ──「独断専行」という発明
構造の起点をたどれば、満州事変に行き着く。
その前史には、関東軍の一部将校が独断で起こした張作霖爆殺事件(一九二八年)があり、首謀者はまともに処罰されなかった。そして満州事変(一九三一年)で、関東軍は中央の不拡大方針を無視して既成事実をつくり、東京は後からそれを追認した。
命令を無視して暴走した者が、罰せられるどころか、結果が出れば是認される。この一件が、日本の組織に決定的な「学習」を残した。
成功さえすれば、独断専行も下剋上も既成事実も許される。
以後、野心ある個人にとって、無許可の大胆さは罰ではなく報酬を約束するものになった。真珠湾も、インパールも、この延長線上にある。
検証(三)山本五十六 ──「最も知っていた男」の罪
ここで、よくある誤解を正しておきたい。
山本五十六を、牟田口と対照的な「有能で責任ある指揮官」として描くのは、甘い。山本の罪は深い。
山本はハーバードに学び、ワシントンの駐在武官を務め、アメリカの工業力と国民性を誰よりも知る男だった。三国同盟にも対米開戦にも反対していた。「半年や一年は暴れてみせるが、その先の確信は持てない」という言葉どおり、長期戦が必敗であることを最もよく理解できる立場にいた。
その彼が、連合艦隊司令長官になるや、奇襲で米艦隊と米国民の戦意を一撃で挫くという真珠湾作戦を立案し、軍令部の慎重論を辞任カードで押し切った。
だが奇襲は、所詮、時間を稼ぐだけのものだ。眠れる巨人を本気で叩き起こし、総力戦という最悪を招き寄せる。それを誰よりも知っていたはずの人間が、その道を選んだのである。
問題は、それだけではない。
一世一代の大博打でありながら、山本はその陣頭に立たなかった。攻撃が断行された昭和十六年十二月八日、彼は前線にいない。広島湾の柱島泊地に停泊する旗艦「長門」の作戦室で、機動部隊からの戦果報告を待っていた。
そもそも山本は、博打打ちの気質を隠さない男だった。ポーカーとブリッジと将棋を好み、作戦前、

購読するとすべてのコメントが読み放題!
購読申込はこちら
購読中の方は、こちらからログイン