石破総理が8月15日の「終戦の日」の全国戦没者追悼式の式辞で13年ぶりに「反省」の弁を「総理」の立場で述べました。これは、野田総理が同式辞で「反省」の弁を述べて以来、実に13年ぶりのこと。
ただし、野田総理に至るまで戦後歴代総理が皆同式辞で「反省」を述べたのかと言えば、決してそうではありません。吉田茂総理以来、どの総理も同式辞で「反省」を口にしていません。
「反省」を同式辞で初めて述べたのは左派政党である社会党の村山総理だったのです。それ以降、野田総理に至るまで毎年「反省」が述べられていたのですが、野田総理を最後に今日まで「反省」の弁は述べられていなかったのです。
つまり、安倍総理が村山総理から毎年恒例となった「反省」の弁を、村山総理以前の歴代総理と同様に全国戦没者追悼式で述べなかったのです。
勿論、安倍総理は、10年前に公表した「戦後70年談話」においては「反省」の弁を述べています。それはそもそも「総理談話」と「戦没者の追悼の式辞」とは全く異なるものだからです。
そもそも総理談話は、日本国民に対してのみならず、世界中の政府や人々に対して発せられる「国際的メッセージ」です。必ずしも「追悼」の主旨ではありません。一方で、今回の式辞はあくまでも、先の大戦・大東亜戦争の「戦没者」に対する「追悼」の儀式における式辞であって、その内容はあくまでも「戦没者に対する追悼の意」を色濃く反映するものです。すなわち、総理談話と追悼式式辞とは、全く性質が異なるものなのです。
ではなぜ、社会党の村山総理から民主党総理の野田総理という一時期を除き戦後一貫して戦没者追悼式で総理は「反省」の弁が発せられてこなかったのかと言えば、追悼式の式辞は、「戦って没した者」に対して最大限の敬意を表することが必須だからです。つまり、(かの戦いは過ちだったという事を前提とした)「反省の弁」は、戦没者に対する礼を逸する事になるからです。
詳しく以下に解説しましょう。
そもそも戦没者は、あの大戦を戦った方々です。あの大戦が一体どういう性質のものであったのかは様々な見解があるところですが、少なくとも戦没者達は、あの時代にあの戦いを戦い、そしてその戦いの中で亡くなった方々です。
そして戦没者達の中には、その戦いに「義」があると信じ、戦い、そして亡くなった方々がおられます。その精神の中にわずかなりとも「義」があると信じていた部分があった方を含めれば、決して一部ではなく、実に多くの方々がおられた筈です。
そして―――戦後の日本国民を代表する総理大臣が、(あの戦いが誤りであったと言うことを前提にしながら)あの戦いを戦ったことそれ自身について「反省」をするとすれば、あの戦いに「義」など無かったという事になってしまいます。
そうだとすれば、その総理大臣が、あの戦争は誤りであったという認識の下(社会党の村山氏も、そして石破氏ももちろん、あの戦いは誤りであったという認識を表明しています)で「反省」の弁を述べたということは、
「貴方たちはその戦いに義があったと思っていたかもしれないが、実際には、あの戦いには義など無かった。そんな義の無い戦いに義があると思わせ、欺し、そして戦わせてしまい、誠に申し訳無かった。貴方たちは気が付いていなかったかもしれないが、実際には欺されていたのです。本当に申し訳ない。」と口にしたことに「なってしまう」のです。
もちろん、村山氏や石破氏が、あの戦いには「義があったと言明」していた上で「反省」の弁を述べたとすれば、事情は全く異なる事になります。戦没者達が「欺された」という事には成らないからです。例えば、日本軍が圧倒的に米軍よりも強ければ、「誰一人と死なせずに戦争を勝利で終えたことができたにも関わらず、それができなかった、申し訳無い」という主旨にもなるからです。
しかし繰り返しますが、石破氏は、あの戦争を始めたことそれ自身が間違いだった、誤りだったと主張しているのです。
https://news.yahoo.co.jp/articles/91b2de35b281b57183bf7b224025064bc906e1cc
だから、今回の追悼式における彼の「反省」の弁は、「戦没者達は、英霊達も含め、全員が義等ない戦いに義があると信じ、欺されて戦った『愚か者』である」という事を示唆することに「なってしまう」のです。
これほど、あの戦いに義があると信じて戦い、そして亡くなった方々に対する冒涜はありません。戦後日本の総理大臣として、戦没者、とりわけ英霊の皆様に対して失礼極まりない言葉なのです。
だから、戦後の歴代総理は(あの戦いは間違いだったと主張し続けた社会党の村山総理から、野田総理に至る一時期の総理を除き)、少なくとも追悼の式典においては「反省の弁」を述べることを避け続けたのです。
それは、戦没者達に対する追悼は、彼らに対する「敬意」を表することを前提せねばならないからです。
それにも関わらず…石破茂は、総理大臣の立場で、そして、あの戦いには義など何も無かったと宣言した上で、戦没者達に対する追悼の辞の中で「反省」の弁を述べたのです。
誠にもって許し難き暴挙であると、当方は心の底からの憤りを感じます。
当方は一国民として、石破氏に対する義憤と同時に、現在の総理大臣の席に石破茂を座らせることの責任の一端を担う現代の一国民として、戦没者の皆さんに対して一国民として心からお詫び申し上げたく存じます。
…こうしてまた本日も、石破茂によって巨大な国益がまた一つ、毀損されてしまいました。
誠に情け無き総理を、現代の日本は戴いてしまったものだと思う他ありません。誠に慚愧の念に堪えません。
追伸:なお、陛下もこの度の追悼式で反省を述べておられます。しかし陛下の反省のお言葉は、戦争によって苦しんだ国民(臣民)を守りきれなかったことへのおおみこころを示されたものであり、戦争を止められなかったという政治責任を負う総理大臣の反省の弁とは性質が全く異なります。それは戦没者への冒涜では全くないものです。
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