… … …(記事全文2,514文字)本日,「葉隠」について,ある書籍の企画で改めて文章をかいておりました.
その中で,「忠」について欠いている中で,なかなか面白い論点かもと思い,改めてつらつらと欠いていたのが,「忠心」と「弔意」との関係です.
そもそも,人間のあらゆる行為の中でも最も大切なものは,「弔う」という行為だと感じています.
例えば,この週末に見た映画「トロイ」でも,「弔い」というものの崇高さを現すシーンが出て参りました.
トロイの王の息子・王子が,敵対するギリシア人のアキレスに戦で殺されてしまいます.そしてアキレスは,その王子の亡骸を戦場から自分の陣地に連れ去ってしまいます.
息子を失い,失意の内にあるトロイの王は,せめて息子をしっかりと弔ってやりたいと考え,殺される覚悟を決めた上で夜中に敵陣であるギリシアのアキレスの家にまで単身赴き,息子の亡骸を返してくれと懇願します.
そして,その命を投げ出す覚悟に心をうたれたアキレスは,その王子の亡骸を返すと同時に,「王子の弔いが完全に終わるまで,停戦しよう」と約束します.
つまり,トロイの王もアキレスも,その王子の「弔う」という行為に,戦の勝敗のみならず,自分自身の命以上の価値を見いだしているのです.
ギリシアの戯曲には,アンティゴネ-を代表として繰り返しこの「弔う」ということの重大な意義を示すシーンが登場します.
当方は,この「弔う」という心の動きは,実は人間というある種崇高な存在に対する「忠心」から来るのではないかと…今日改めて感じましたので,以下の様な文章を纏めた次第です.
是非,ご一読下さい.
……
購読するとすべてのコメントが読み放題!
購読申込はこちら
購読中の方は、こちらからログイン