… … …(記事全文3,182文字)【拙著】『総理大臣 小沢一郎』(2007年11月10日刊)
第4章 血盟的同志づくりと脱落者
宮沢内閣不信任決議案が賛成二五五、反対二二〇で可決される
まず、第一回目の篩いはどんな形で行われたのか。順を追って振り返ってみよう。
平成四年(一九九二)八月二十七日、自民党内の最大派閥だった経世会(竹下登派=衆議院六十六人、参議院四十一人)の会長・金丸信が、東京佐川急便事件に関与したことを認め、党副総裁を辞任。経世会会長の座を降りることも必至となり、派閥領袖の後継をめぐって竹下派七奉行と言われた小渕恵三(橋本龍太郎、梶山静六)と羽田孜(小沢一郎、渡部恒三、奥田敬和)が対立、衆議院で羽田派、参議院で小渕派がそれぞれ多数派になった。
最終的には派閥オーナーである竹下の支持を集めた小渕が会長に就任し、派閥を平成研究会(小渕派□衆議院三十一人、参議院三十三人)と改める。
板垣英憲(いたがきえいけん)情報局 ~マスコミに出ない政治経済の裏話~
板垣英憲(政治評論家)