□■□■【反骨の元外交官が世界と日本の真実をリアルタイム解説】 ■□■ □■ 天木直人のメールマガジン2013年4月28日第305号 ■ ============================================================== 豊下楢彦教授の著書を引用して「主権回復の日」を論じた東京新聞 ============================================================== 「主権回復の日」式典を論じる各紙の論評の中でついに核心に触れる論評を見つけた。 それがきょう4月28日の東京新聞の社説である。 その中で東京新聞はこう書いている。 サンフランシスコ講和条約交渉への昭和天皇の介入は、沖縄の運命のみならず戦後の日本の防衛や安全保障に決定的に重要だった、と書いたのだ。 そしてその事を教えてくれる豊下楢彦関西学院大学教授の功績を特記したのだ。 これは私に言わせれば画期的なことである。 なにが画期的か。 それは豊下楢彦という政治・歴史学者が、日本で唯一といっていいほど昭和天皇と日米安保体制のかかわりを正面から研究、分析し、それを世に発表した学者であるからだ。 それゆえにその業績の素晴らしさに反比例して豊下楢彦という学者が封印され、その存在が国民から遠ざけられ、いわばタブーの如き存在とされてきた。 何がタブーなのか。 それは昭和天皇が、新憲法の下で政治にかかわってはならない「国民統合の象徴」となった1947年5月以降も、何度もマッカーサー元帥や米国要人と会って日米安保体制の構築に政治的指導力を発揮した事だ。 それだけではない。大方の国民は日米安保体制はマッカーサーと吉田茂によって作られたと思い込まされているが、しかし本当の史実はマッカーサーと吉田茂を排除して、ダレス特使(後の国務長官)と昭和天皇によって日米安保体制は作られた。 戦争責任の回避とその後の共産主義の脅威から逃れるために、吉田茂を叱責して日米安保条約を急ぎ、米軍によって自らを守ろうとした。 つまり今日に至る対米従属の原点は昭和天皇の裏外交にあったのだ。 東京新聞は社説のなかで、豊下教授の「昭和天皇・マッカーサー会見」(岩波文庫 2008年7月発刊)を引用して昭和天皇のかかわりを書いている。 しかし豊下教授が最初の昭和天皇の二重外交を最初に書いて昭和天皇の責任を問うたのは「安保条約の成立 吉田外交と天皇外交」(岩波新書 1996年12月発刊)である。 私がはじめてこの本を読んだ時の衝撃と興奮はいまも忘れられない。 まるで推理小説を読むがごとくサンフランシスコ講和条約と日米安保条約の交渉史を辿ったものだ。 何度読んでも新鮮さを覚えるその本は、私の朱筆と手垢でボロボロになっている。 その豊下教授がついに6月にその集大成を発行するという。 あの「戦後史の正体」、「日米地位協定入門」を発刊した創元社が、「戦後再発見」双書シリーズの第三弾として発刊する。いわば完結編だ。 私は楽しみにしている。この本によって日本国民のほとんどが知らないままに生きてきた戦後史の闇が明らかにされることを。 この本によって国民は目覚めるかもしれない。 豊下楢彦という封印されてきた学者の存在に国民は気づく。 そのきっかけとなる東京新聞の社説と、その社説を書かせた「主権回復の日」式典を強行した安倍首相に、私は感謝したい心境である(了)。 ──────────────────────────────── 購読・配信・課金などのお問合せやトラブルは、 メルマガ配信会社フーミー info@foomii.com までご連絡ください。 ──────────────────────────────── 編集・発行:天木直人 ウェブサイト:http://www.amakiblog.com/ 登録/配信中止はこちら:https://foomii.com/mypage/ ━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━

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