□■□■【反骨の元外交官が世界と日本の真実をリアルタイム解説】 ■□■ □■ 天木直人のメールマガジン2013年4月18日第274号 ■ ============================================================== 手塚治虫の涙 ============================================================== 手塚治虫の漫画の数々には感動させられるものが多い。その膨大な作品のほんの一部しか読んだ事のない私だが、記憶に残る作品は「きりひと賛歌」であり「ブエノス・ノーチェス」だ。 その手塚治虫が「鉄腕アトム」を書いて原発賛成論を唱えたと伝聞で知って驚いたものだ。 しかしそのような私の漠然とした認識は何を根拠に私の中で固まってしまったのか。 思い出せないままに今日に至っていた。 そしてきょう4月18日の東京新聞に、そんな私の疑問に見事に答えてくれる記事を見つけた。 「アトムの涙 手塚治虫が込めた思い」というコラムがそれだ 私の思い込みのもとになった伝聞が「アトムジャングルへ行く」という原子力発電所をPRする冊子からくるものであることを知った。 1977年にその冊子をつくった漫画社という広告企画会社(いまは解散)社長の樋口信(75)氏は言う。 冊子は電気事業連合会を通じて全国の電力会社に納入され、当時の報道では東京電力の福島原発でも無料配布されたと。 翌年には続編「よみがえるジャングルの歌声」もつくられ、寒さで凍える動物を救おうと、アトムが動物と力を合わせてジャングルに原発を造る。やがてきた地震と津波に原発はびくともせず「安全でした」といって終わる。 「手塚さんがこんなことをしていたら漫画界の恥だと思い、真意をただそうと押し掛けたんです」。 編集者の才谷遼(60)氏がパーティ会場にいた手塚氏を訪ねて取材した。1988年の事だという。 そうしたら、多忙でいつもはすぐ消えてしまう手塚氏がこの時は「大切な問題だから」と時間をつくってくれてこう語ったという。 「描いた覚えないの。許可した覚えもない」と冊子への関与を否定し、さらに「僕も原発に反対です。はっきりそう書いてください」と写真撮影用に「原発反対のポーズ」までとってくれたという。 手塚治虫ががんで亡くなったのはこのインタビューの8ヵ月後であった。 マネージャーだった手塚プロダクション社長の松谷孝征(68)氏によると手塚のもとには生前、電力会社から「PRに使わせてほしい」という以来が何度も来ていたが、そのたびに断っていたという。 その一方で樋口「漫画社」社長は「手塚プロの許諾は受けているはず」と無断使用を否定する。 真相はわからないが疑問は残る。 漫画社が一切の報酬を払わずに無断で使用していたとは常識的には考えられない。 そして漫画社から手塚プロダクションが報酬を貰っていたとすればそのカネの出所は電気事業連合会だ。 なによりも、もし本当に反対なら、1977年に発表されてから1988年まで、まぜそれを放置していたのだろうか。 しかし少なくとも手塚治虫は晩年には自らの作品が原発宣伝に使われていた事を悔やんでいたことははっきりしている。 そのことがわかっただけで十分である。 私も原発については3・11まではそれが未来のエネルギー源だと思い込んでいた。 3・11が起きて、核物質の非人間性にあらてめて気づき、いまでは原発反対論者になった。 重要な事は自らの過ちに気づき、それを認める勇気である(了) ──────────────────────────────── 購読・配信・課金などのお問合せやトラブルは、 メルマガ配信会社フーミー info@foomii.com までご連絡ください。 ──────────────────────────────── 編集・発行:天木直人 ウェブサイト:http://www.amakiblog.com/ 登録/配信中止はこちら:https://foomii.com/mypage/ ━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━

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