■□■□■━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━ □■□■ 【反骨の元外交官が世界と日本の真実をリアルタイム解説】 ■□■ 天木直人のメールマガジン 2009年10月30日発行 第425号 □■ ─────────────────────────────── ■ 伝家の宝刀を抜いた長妻厚生労働相 ━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━ 鳩山政権が動き出して一カ月あまり。多くの新たな試行錯誤の中に、政治家と官僚の関係が どうあるべきか、というのがある。 脱官僚を意識するあまり官僚を政治や政策から遠ざけるという傾向と、それは独善的だ、官僚をうまく 使いこなさなければ行き詰まる、という二つの意見が連日のようにメディアに踊る。 正解はこの中間にあるに違いないが、私はどちらかを選べと言われれば断然前者だ。 国会法を改正までして官僚を国会や政治から遠ざけるというのはやりすぎだと思うが、政治家が指導力を 発揮して官僚の上に立つのは絶対に必要である。 そう思っていたら、あるべき政治家と官僚の関係を長妻厚労相がテレビで発言していた。 たまたま目にした10月29日夜のテレビ朝日の報道ステーションで長妻厚生労働相が古舘伊知郎相手に 次のように話していた事を知って私は驚いた。 国民のための政策をつくろうとする自分に協力してくれるかどうかで官僚を選ぶ、あまりこういう言い方は したくないが、最後は人事権を使わせてもらう、と。 ついに政治家が官僚支配の要諦である伝家の宝刀を抜いた瞬間だ。 この言葉を聞いて震え上がった官僚がいただろう。その一方でこれからが自分の出番だと張り切った 官僚も板に違いない。 官僚支配を許してきた最大の理由は、官僚の人事が身内官僚の間で、情実、不透明、仲間びいき、で 決められてきたからだ。 そこには国民の為の政策づくりに貢献するという本来の官僚のあるべき人事評価の視点はない。 だからこそ政策がここまで国民生活から背馳してきたのだ。 それがついに、国民の為の仕事を本気でする気があるかどうかという、客観的かつ合理的な基準で官僚人事が 行われようとしているのだ。 これこそが官僚人事のあるべき姿である。かねてから私が強調してきた事だ。 その事をかつてメルマガでこの事を書いた時、読者から、それは危険な考えだ。政・官癒着の弊害が、 自民党時代とはまた別の意味で、生じてくるのではないか、という批判が寄せられた。 それは違う。 この人事の大前提は、それを行う大臣が、国民本位の政治を行う政治家であるということだ。 そして鳩山首相は民主党政権の最大のマニフェストがそれであると国会で繰り返し宣言している。 彼が任命した閣僚の中には国民度という点では濃淡はあるが、長妻大臣はその中でも最も国民視点に 立った大臣だと考えていいだろう。 このような大臣が一人でも多く存在し、その大臣が自分に協力をしてくれる官僚を重用する。そして国民の 目の前で透明性の高い政策をどんどん作り、実施していく。その責任を選挙のたびに国民に問う。 これこそが、政治家と官僚のあるべき関係に違いない。 今日10月30日の読売新聞に、財務省内定の男子学生の次のような声が紹介されていた。 「『官僚は考えるな。ただの行政執行部隊だ』というなら、誰もなりたいと思わなくなる」 大きな勘違いだ。こういう意識を持って入ってくる官僚こそ、時代遅れの官僚である。 官僚には大きな権力が与えられている。正しい政治家とともに、その権力を国民の為に使う事が出来る。 それだけでやりがいのある仕事なのである。普通の仕事では見いだせない使命感のある仕事である。 読売新聞に登場する学生のような人物がいる一方で、新たな官僚の姿にやりがいを見つける若者は 後を絶たないだろう。 私は長妻大臣を信用する。長妻大臣の下で厚生労働省は間違いなく脱官僚となる。 いや、脱官僚というよりも政治と官僚の好ましい協力関係が出来ていくと思う。 願わくばすべての省庁において長妻大臣のような大臣がその職に就き、正しい人事権を発揮して 正しい官僚との協力が出来上がらんことを。 それが出来れば、それだけで鳩山民主党政権の歴史的価値はある。 ──── 天木直人のメールマガジン 2009年10月30日発行 第425号

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