… … …(記事全文3,312文字)私は2度、海外留学の経験があります。初めの留学は、海外で長期間暮らすというのも初めてでしたから、数え切れないほどのハプニング(ほとんどがアクシデント!)に遭遇しました。私が29歳の1994年4月からの2年間の想い出話です。郷に入っては郷に従えとはいえ、謎だらけの・・・
留学までの経緯(難易度 ★★★★★★★★☆☆)
初めの留学先は英国のグラスゴー大学(Glasgow University)で、研究室は獣医学部の中にあるMRCレトロウイルス研究室(MRC Retrovirus Research Laboratory)でした。MRCはMedical Research Councilの略で、日本語では医学研究会議になります。
今では大学院で博士号を取っても海外に留学しない人が多くなりましたが、当時は、大学で先生(助手)になるためには海外留学が必須という不文律がありました。博士課程でレベルの高い論文を書いて博士号を取ると、米国国立衛生研究所(NIH)や様々な大学にポスドク(ポストドクター、博士研究員)のポジションを得るチャンスがありました。日本人は優秀で協力的で、勤勉(ハードワーカー)だと評価されていました。しかし、他国、特に中国人留学生との競争が激しくなってからは、ポスドクの職を得るのは難しくなっているようです。
文部科学省(当時は文部省)の傘下にある日本学術振興会は、若手の研究者に研究費付きの奨学金を出しています。私は日本学術振興会の海外特別研究員制度で留学することができました。応募するにあたっては受け入れ先の先生の内諾書が必要でしたので、博士課程の学生のうちにいろいろな大学や研究所を回りました。米国サンディエゴのスクリプス研究所(Scripps Institute)でウイルス学で大御所のジョン・エルダー(John Elder)博士のラボ、コロラド州立大学(Colorado State University)の獣医学部のエドワード・フーバー(Edward Hoover)教授のラボなどです。分子生物学的解析の技術をもつスタンフォード(Stanford)大学や、その他にも候補がありましたが、自分の希望する研究と環境に合致するところがなかなか見つかりませんでした。
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