… … …(記事全文2,648文字)「カフェ」が最初にできたのは明治43年ごろの銀座ですが、大正時代の日本で大流行します。
カフェはフランス由来のものでパリ最古のカフェである「カフェ・プロコップ」が誕生した17世紀後半、パリでは「カフェ経営者兼リキュール業者」の同業組合(ギルド)が設立されました。
そのため、お店ではコーヒーだけでなく、甘いリキュール、シロップ、ワイン、そして名物のジェラート(シャーベット)なども一緒に販売されていました。このようなフランス風「カフェ」と、イギリス風「喫茶店」が混在したのが大正時代の業界でした。
大正14年の広辞苑第一版には
そもカフエーとは如何なる物であるか
カフエー[Cafe']珈琲店。軽便西洋料理店。きっちゃてん[喫茶店]来客の求めに応じて、紅茶・珈琲などを供する軽便なる店。此の両者の違いはカフエーが仏蘭西に端を発し酒類を取り扱うのに対し、喫茶店は英吉利に端を発し酒類は取り扱わないと云うところである。
- と書かれていました。
- 明治から大正初期までのカフェは健全な店が多かったのですが、競争が激しくなると接客する「女給」のサービスで競争するようになり、関東大震災後のカフェは、現在のキャバクラやスナックに近い社交場でした。純粋にコーヒーを楽しむ場所は「純喫茶」と呼ばれ、区別されていました。
これはまだ、まともな給仕をするスタイルのお店の画像ですが、女給が客の横に着席するスタイルの営業形態が増えました。
この版画は何度も営業禁止処分を受けた「バッカス」を描いたものです。
昭和初期(1930年代頃)のカフェーの女給の給料は、基本的には店からの固定給(基本給)はなく、客からの「チップ」が主な収入源という、現在でいう完全歩合制のような非常に特殊なシステムでした。
女給の良し悪しで店の売り上げが変わっていくになると当然かもしれませんが、女給にランクができ、一般的な女給の平均月収は30円〜40円程度でしたが、人気のトップクラスともなれば月収数百円〜1,000円以上を稼ぎ出す者も存在しました。
大卒エリート会社員の初任給が70円、旧制中学校卒会社員の初任給が約35円の時代です。
女給は完全歩合制が主流となり、店側は女給に「客を接待してチップを稼ぐ場」を提供しているという名目でした。売上からの報奨金: チップのほかに、客が注文したビールや料理の売上に応じた数パーセントの報奨金(マージン)が支払われることもありました。
逆に、女給が店に対して食事代や着物の着付け代などを支払わなければならないケースも多くありました。従業員というより、所属タレントのような位置づけですね。


