… … …(記事全文3,237文字)かつて世界の陸と海の覇権を握り、「日の沈まない帝国」と讃えられた大英帝国。その凋落は、一つの決定的事件によって引き起こされたものではない。今回は、なぜ、また、どのように大英帝国が凋落していったかを知ることで、日本が注意すべき道を探りたい。
かつての大英帝国
大英帝国の衰退の過程は、大きく5つのフェーズに分けて見ることができる。
第1期:静かなる衰退の始まり —— 産業の地盤沈下(19世紀後半〜)
大英帝国の凋落は、栄華の絶頂期であった19世紀後半、すでに足元で始まっていた。世界に先駆けて産業革命を成し遂げ「世界の工場」となったイギリスだったが、その成功体験ゆえに保守化し、重化学工業や電気産業を中心とする「第二次産業革命」への投資を怠ったのだ。
国内の工場設備を刷新するより、植民地やアメリカへの海外投資で手軽に利益を得る道を資本家たちは選んだことも大きかった。
この資本の海外流出により国内産業は空洞化し、1900年前後にはアメリカに工業生産力で追い抜かれ、ドイツには化学・電機といった先端分野で技術的優位を奪われた。世界に君臨する帝国の内側で、経済的な地盤はすでに沈み始めていたのだ。
第2期:揺らぐ極東戦略 —— 日英同盟の終焉と多国間体制への転換(1921〜23年)
経済的な陰りに続き、20世紀に入ると外交面でも潮目が変わった。象徴的な出来事が「日英同盟の解消(1923年)」だった。
第一次大戦を経て国際政治の主導権を握ったアメリカは、日英が結びつくことを警戒し、日英同盟破棄の圧力をかけた。また、それに加えて日本の大陸進出(対中21カ条の要求など)による英国内での日本のへの不信感の高まり、そして戦後秩序を多国間の枠組みで管理しようとするワシントン会議(1921〜22年)の潮流も重なった結果、日英同盟は解消された。
この結果としてイギリスはアジア・太平洋の安全保障を日本に委ねるという選択肢を失った。極東での抑止力の喪失は、のちの第二次大戦でシンガポールや香港を失う遠因となった。
この後、第五期まで続き、現代日本との比較と、日本への教訓を語りたい。ここより先は会員登録が必要です。月・水・金に配信中です。(現在、平日毎日更新中)
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