… … …(記事全文4,550文字)●5人の拉致被害者の帰国から24年
10月15日で5人の拉致被害者が帰国してから、丸24年となった。24年と言えば、5人が北朝鮮で不自由な軟禁生活を強いられた年月に相当する。彼らは、帰国した日本で完全ではないものの自由な暮らしをしてきた。彼の国での「24年」と同じ年月が過ぎたということである。
にもかかわらず、他の拉致被害者の帰国は一人も実現していないという体たらくだ。5人が帰国した際の日本政府の対応は冷血で、拉致被害者のことを慮っているとは、とても感じられなかった。さらに、被害者の人権など眼中になかったと言っても過言ではない。改めて当時の政府の対応に鑑みれば、現在の惨憺たる事態は予見できたと考えている。以下、具体的に述べたい。
●拉致は「解決」から一転「一時帰国」へ
2002年9月17日に行われた日朝首脳会談の真の目的は、「日朝国交正常化」であったことは再三にわたって言及してきた。正常化の入り口に立ちはだかっている大きな壁が拉致問題であり、まずこれをクリアしないと交渉は進まない。ここで、小泉純一郎首相(当時)は安易な決断をしてしまう。「5人生存、8人死亡」と伝えられた内容を鵜呑みにし「日朝平壌宣言」にサインをした。金正日総書記が拉致を認めて謝罪したからだろうか。
「死亡」とされた人の証拠を求めようとせず、また「生存」とされた5人については、小泉首相と面会し「北朝鮮が大好きです」と訴える準備をしていたのに会えなかった。そこに、拉致被害者の人権への配慮は存在しない。正常化交渉における駒にすぎないのだろう。これで、拉致問題を終わりにしようとしたのである。小泉首相の「被害者に死亡者がいたのは痛恨の極みだ」という一言とともに。
「とにかく日朝平壌宣言は締結できたのだから、国交正常化作業はとんとん拍子で進むだろう」。訪朝団一行は、意気揚々と飛行機に乗り込み帰国したのかもしれない。ところが、日本の地を踏んでから、どうも予想していた様子と異なると気付くのに、それほど時間を要さなかっただろう。メディアは当初、「拉致被害者に死亡者」「めぐみさん死亡」などとショッキングに報じたが、すぐに「死亡した証拠は何だ」「生きているなら連れ帰れ」といった世論の高まりにかき消されてしまった。
●失態を取り繕う「一時帰国」 中山参与に騙された
世論が高まるのは当然のことである。この「失態」を取り繕うために、日朝両国は5人の「一時帰国」という手に出てきた。中山恭子氏が内閣官房参与に任命され、「拉致被害者支援室」が急ごしらえされた。「なぜ、一時帰国なのか?生まれ育った国に留まってどこが悪いのか?」。家族にはまったく納得ができず、大きな疑問が生じた。
そこで、中山参与が、「今回は、5人だけの一時帰国ですが、心配はいりません。次があります。その時はお子さんたちも一緒に家族そろって帰国する予定になっています」と苦しまぎれの説明をした。そう、私たち家族は、中山参与にまんまと騙されたのである。どうして、家族を騙してまで、一時帰国にこだわるのか。日朝間の約束だからである。皇室のようなソフトで優しい口ぶりではあるが、家族の意向よりも政府の決定を重視していたのは質が悪い。
●役に立たない拉致被害者支援室 花束買えない
