… … …(記事全文3,068文字)●24年間分以上のこと
気が付いてみれば、24回目の9月17日がやってくる。弟たちが北朝鮮に拉致されていた期間が24年である。それと同じ時間が経過してしまった。この間多くの被害者家族が亡くなった。私たちの家族も例外ではなく、先日母が旅立った。喪主の挨拶で、「会えなかった24年間分いやそれ以上、弟家族は親孝行してくれた。母も同様に息子たちに愛情を注いだでしょう」と、私は楽観的に述べた。しかし、失われた24年は絶対に取り戻すことはできない。
●拉致されていなければ
もし、拉致されていなければ、弟が大学を卒業し、どういう職業に就いていたのか。司法試験には合格したのか。何度挑戦したのか。弁護士になったのか、それとも司法書士になったのか。まったく異なる職業なのか。また、当時付き合っていたという祐木子とそのまま結婚したのか。どこに住んでいたのか。東京なのか実家のそばなのか。子どもたちはもうけたのか。どんな赤ちゃんだったのか。どこの小学校に入ったのか。中学は、高校は。それらは分からない。想像してみても、いずれもフィクションでしかない。
●安否が分かってこそ
世の中には、自分自身の都合で安否不明になる人も少なからずいるだろう。しかし、たとえ疎遠であったとしても、安否が分かったうえで同じ時間を刻んでこそ、世間一般の家族の形態ではないだろうか。弟たちの場合、同じ時間は刻んでいたものの、安否が24年間不明だった。こういった状況に鑑みると、私のした挨拶がいかに荒唐無稽だったかを思い知らされる。「生きていただけでも良かった」というのは何の慰めにもならない。
●責任は日本政府にもある
なぜこんな酷い目に遭わなければならないのか。北朝鮮に第一の責任があるのはもちろんであるが、日本の警察、海上保安庁にも落ち度があった。これは明らかなことである。石川県の宇出津海岸で久米裕さん(101歳)が拉致されたいわゆる「宇出津事件」で、石川県警は拉致の首謀者を逮捕している(警察庁長官賞を受賞)。これが、1977年9月のことである。したがって、石川県警が全国の警察、特に日本海側へ水平展開していれば、後の拉致事件は防止できた可能性があった。
