… … …(記事全文4,047文字)●弟の様子が変 介護疲れだけか?
要介護の両親を抱えていると、心労により精神的な変化が生じると旧稿で書いた。私よりも接触している時間が短いはずの弟もこのところ変わった。帰国してから、激高し傍から見ていると恐怖を感じるほど母と喧嘩するようになった。直後に、「半島仕込みだから許してくれ」と冷静になる。と言っても滅多なことがない限り、怒ることはなかった。ところが、最近激高まではいかないが、怒りっぽく、気が短くなったように感じる。介護疲れがそうさせているのは否定できないが、どうもそれだけではないらしい。
では、昔の弟は、どんな人間だったのか振り返ってみたい。
●反骨精神の持ち主
弟は、次男坊で小さいころから、「お兄さんが言ったことに反抗するんじゃない」と、両親はもちろん祖父母にも言われていた。家父長制そのものの昭和の時代である。私の言うことを聞かざるを得ない状況に置かれ、弟には「何くそっ」という反骨精神のようなものが芽生えていたようである。もちろん、家父長制に疑問を持っていた訳ではないが。しかし、兄弟の仲は良くも悪くもなく、ごくごく普通だったと思う。
●野球に没頭
弟は、中学時代は野球に没頭していた。帰国後、当時のチームメートと野球をする姿が報じられたのでご記憶の方もいると思う。それが、高校に入ると一転、どのような心境の変化があったのか、演劇部に入った。もともと、あまり周囲にどう思われるかなどは気にしない人間だった。
●古着ファッションを先取り
修学旅行の際、祖父のレインコートを着て行ったのを覚えている。その頃、ヨレヨレのレインコートがトレードマークの刑事が主人公の「刑事コロンボ」というアメリカのテレビドラマがヒットしていた。ひょっとしたら、その影響だったのかも知れないが、いまでこそ、古着をファッションアイテムとして身に着けるのがオシャレとされている。弟はその古着ブームを先取りしていたのだろうか。
●のんびり屋でずぼら
良く言えば、せかせかせずマイペースでのんびり屋、悪く言えば、ずぼらだったように私には見えた。後述するが、いまの弟は大きく変わった。ただし、ずぼらはそのままである。
●大学時代
高校卒業後、弟は中央大学法学部に進学した。学生時代の弟は政治にはあまり関心がなかった。その点、私と同様である。野球好きなので、大学の体育では野球を選択し、出席率100%で成績は他の教科より断然上だった。
私が大学4年、弟が1年の時、東京・中野の6畳1Kのアパートに1年間だけ同居していた。その時のエピソードとしてこんなことがあった。ある日私が部屋のカーペットを新調した。あまりにも汚かったので心機一転を考えたものである。部屋で麻雀をしていた弟がタバコの火をそのカーペットの上に落とし、大きな焦げ跡を作ってしまった。嫌な予感はしていたのだが、当然私は酷く怒った。すると、弟は座布団を取り出して、「これを上に敷いておけば見えないじゃないか。平気、平気」と、気にすることはないと言わんばかりだった。呆れてしまったが、細かいことに気を止めない大雑把な性格が垣間見えた瞬間だった。
●将来は弁護士?司法書士?
弟は法学部だったので、将来は弁護士か司法書士になる気持ちを持っていたようだ。もし、将来地元で開業することになったら、土地を提供してくれないか、と父に相談しているのを聞いた。父は、「いくらでも協力するから頑張れ」と励ましていた。私と弟そして妹の3人が家を離れての生活だ。実家は両親と祖父母4人暮らしになっていた。弟が地元で開業というのは、両親にとって、さぞやうれしい言葉だったのだろう。
●大学の移転
そんな弟が大学3年になる1978年4月、中央大学は東京・千代田区から八王子へ移転した。都心から東京とはいえ田舎へ行くのが、い
