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本日、1月25日、上野動物園では4歳の双子パンダのシャオシャオ(オス)とレイレイ(メス)の最終観覧日だった。
事前の抽選で24.6倍もの倍率を勝ち抜いたパンダファンたちがたっぷりと別れを惜しむと、27日には成田空港から空路中国へと向かい、翌日には四川省の中国ジャイアントパンダ保護研究センターへと到着。
既にここで暮らしている母、シンシンと姉、シャンシャンに対面する予定だ。
日本で大人気を博し続けたパンダだが、昨年の白浜アドヴェンチャ―・ワールド、今年の上野動物園と、いずれも返還期限がネックとなり、全頭返還。
国内飼育はとうとうゼロとなってしまった。
なぜそのようなことになったのだろう。
少なくとも白浜については次のような事情があった模様だ。
昨年4月、中国四川省成都市の関係者が白浜町を訪問。
正式な友好都市に格上げしようと提案したが、町長の大江康弘氏は返事を渋った。
大江氏は親台派であり、中国による政治介入を恐れたからだ。
そして数日後、アドヴェンチャー・ワールドにおける全パンダ、4頭が6月末に返還されることが発表された。
同施設と中国野生生物保護協会との共同プロジェクトの期間満了は8月である。
それを待たずして一括返還とは穏やかではない。
東京女子大学の家永真幸教授によれば、パンダを外交手段とする中国に対し、白浜町がよほどの不満を抱いたからではないかとのことだ(産経新聞 6月28日)。
上野動物園については東京都が貸与元の中国野生動物保護協会に貸与継続を要望していたが、前向きな解答が得られないまま協定に基づく返還期限が迫ったからだという。
この件についてはそもそも中国政府が判断を下す外交案件であったものが、11月8日、立民の岡田克也氏の質問に対する高市総理の答弁、それもごく当たり前の発言に中国政府が猛反発。
これによって新規の貸与はありえないというくらいの状況にまで至ってしまった。
それにしてもパンダが初来日したときの日本人の熱狂ぶりを覚えておられるだろうか。
1972年9月の日中国交正常化を記念し、10月にランラン(オス)とカンカン(メス)が上野動物園に贈与され、一般公開の運びとなった(ちなみに1984年のワシントン条約の付属書により、パンダの商業取引が禁止されてからは贈与ではなく、貸与になった)。
その人気は凄まじいばかりで、入場者の列は徹夜組を含め、上野駅まで続いたとも言われる。
しかし思えば中国は既に1941年からパンダを外交手段として用い、その元祖は蒋介石の妻、宋美麗である。
アメリカに2頭を贈り、世論を親中反日に導くためであったという。
つまり日本は、パンダ外交の一番初めからその矛先になっていたことがわかる。
上野のパンダフィーバー当時、私は高校生だったが、人々がこれほどまでに熱狂するということは何かがおかしい、隠された意図があるのではと考えるのが精一杯だった。

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