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9月 6日、悠仁親王殿下の成年式がつつがなく執り行われた。
この「つつがなく行われた」ということを、当たり前ではないか、電車が2~3分でも遅れようものなら大騒ぎのこの日本でつつがなく行われないなんてことは考えられない、と思われる方も多いだろう。
しかし皇室のごたごた、特に悠仁親王がお生まれになってからの皇統破壊派による妨害行為を幾度も目撃してきた私にとっては、何も起こらないと予想するほうが難しかったのだ。
悠仁さまの物語は、お生まれになる12年前に遡る。
1994 年5月、紀子さま、第2子ご懐妊のニュースが流れた。
のちの佳子さまを身ごもられたのだ。
このとき、「男の子が生まれたら、どうなさるおつもり?」と某宮妃は紀子さまに迫ったと言われている。
東宮家よりも先に男子を授かると後々ややこしいことになるという意味だろう。
困惑する紀子さまに高松宮妃喜久子さまは「遠慮などせず、どんどんお産みになったらよろしいのよ」と、ご自身にお子さんがおられないにも関わらず、皇室の将来を考えた発言をなさった。
しかし佳子さまの誕生以来、秋篠宮家には長らく産児制限が課せられることになった。
その証拠は、佳子さまから悠仁さままで12年のブランクがあること。
あるとき秋篠宮殿下が会見で「自分たちは自由に子をつくることができない」という意味の発言をし、悠仁さまの誕生から3か月近くを経た、ご自身の誕生日会見で「お許しが出まして」と発言されたことだ。
さらなる証拠として2001年、皇室の産婦人科担当医を40年にわたり続け、退任する坂本正一医師が「雅子さまも紀子さまもそろそろ(限界が)来られている」と両陛下に述べ、2003年6月、湯浅利夫宮内庁長官が「東宮家に第2子を」と、12月には「皇室の繁栄を考えた場合、東宮に第2子を、秋篠宮家の繁栄を考えた場合、秋篠宮家に3人目のお子さまを強く希望したい」とそれぞれ会見で述べたことである。
宮内庁長官が公の場でわざわざ述べるということは、秋篠宮家に産児制限が課せられていたからこそだろう。
ちなみに東宮家では長年不妊治療が行われており、愛子内親王はその一つの結果として2001年にお生まれになっている。
ところが2005年に開かれた皇室典範改正についての有識者会議は、とにかく皇室典範を改正し、女性でも天皇になれるようにする。
そして愛子さまを天皇にし、結婚していただき、お子さんを産み、その子を性別に関係なく天皇にして女系天皇を誕生させる。
この天皇は皇室の方ではなく、愛子さまのお相手の家の方なので皇統が滅び、日本も自然と滅びの道をたどる――。
そのような企みの元、開かれ、11月には国会に報告書を提出、翌年1月には小泉首相が施政方針演説でこの件に触れた。
まさに皇統と日本国を滅ぼしたい勢力にとっては王手がかかっていたのである。

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