… … …(記事全文2,660文字)
本来、悠仁親王殿下の成年会見の日にこのメルマガをアップしようと思っていた。
しかしそのあまりにもご立派な会見に感激し、感情移入が過ぎる文章になりそうだった。
よって一日の間を挟んでいる。
それでもまだ感情は高ぶったままだ。
というのも、悠仁さまがご自分の言葉で、慎重に、各方面に気を使いながら完璧な回答をされるであろうことは、これまでご様子をうかがってきて、また、お茶の水女子大学附属小学校、中学校、筑波大学附属高校などで常にリーダーシップを発揮されているというクラスメートらの証言からも明らかだったのだが、それが現実のものとして広く知らしめられたからだ。
また、そのご立派な様子が、これまで皇室にほとんど関心のなかった人々にも届き、この方が天皇になられるのなら日本は安泰だ、などという感想までもたらされたからだ。
そしてまた本来、天敵とも言える「女性自身」までもが、【悠仁さま、緊張したご様子も〝カンペ〟なしで完遂! 初の記者会見に「並大抵の練習じゃない」と絶賛続出】なるタイトルで記事を出したほどだからだ。
「並大抵の練習じゃない」というところがいつもながらの嫌味だが、それくらいの嫌味しか言えぬほど悠仁さまの会見は完璧だったのだ。
「練習」と言うが、実は当日、記者からの質問には予定にないものがあった。
「今年は先の大戦から80年の節目です。戦後生まれの人が大半を占める今の時代に悠仁さまは戦争の歴史とどう向き合われてきたでしょうか。」
と言うもので、これにはアドリブで、
「はい。まず私は幼少の頃から戦争に関する資料館を訪れたり、沖縄、長崎、広島といった地を訪問したりする機会がありました。その中で戦争について、詳しく学んだり戦争を経験された方の話を伺ったりする中で、戦争によって多くの方々が命を失い、またつらく苦しい思いをされたことは言葉で言い表すことができないほど痛ましいものであると考えました。また、先月、舞鶴引揚記念館を訪れた際にも、引き揚げのお出迎えの経験者の方や学生語り部の方からお話を伺う機会がありました。その中で当時の人々の思い、そして当時の状況をしっかりと深く受け止め次の世代に語り継いでいくことの重要性を感じました。その上で一人一人がお互いの立場を理解し合い、学びを深めて平和の実現に向けて努めていくことが大切であると思いました。これからも平和について実際に書籍を読んだり、その場所を訪れたりすることを通して考えていきたいと思っております。」
と澱みなくお答えになったのだ。
お小さい頃からご両親に導かれ、広島、長崎、沖縄、学童疎開船対馬丸など慰霊の旅を続けられ、先月12日にはお一人で舞鶴引揚記念館を訪問されるなど、戦争と真摯に向き合ってこられた。
だからこそ、咄嗟の質問にもこんな答えを発することができたのだろう。
YouTubeで毎日、秋篠宮家のでたらめを発信し続けている篠原常一郎氏は、悠仁さまに知的障害があり、難聴であるなどと言い続けてきており、あの会見を見て少しは反省するかと思いきや、今度は「多動」や「アスペルガー」を持ち出してきた。
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