… … …(記事全文4,185文字)前回の「赤いきつね」騒動に続きます。
今回の騒動を通して改めて思ったのは、CMにしろ、絵画にしろ、音楽にしろ、文章にしろ、何らかの表現の世界においては、何重もの意味を持たせるとか、表面的な意味が実は何かを暗喩している(特に性的な意味)、などということは常識であり、もしそういう要素がなければ薄っぺらい作品で終わってしまうだろうということだ。
極端な例になってしまうが、子どもを対象にしているとする童謡の世界にだってそれはある。
たとえば「はないちもんめ」だ。
「はないちもんめ」は子どもたちの一つのグループが、「かってうれしい はないちもんめ」と歌うが、「かって」は「買って」であり、「はな」は女の子の意、「もんめ」は貨幣としての銀の重量の単位であり、「はな」ほどの価値で女の子が売買されてしまうことである。
つまり、「女の子を安く買えてうれしい」という、遊郭での人身売買の歌なのである。
もう一つのグループが「まけてくやしい はないちもんめ」と歌うが、それは「女の子を安く値切られてくやしい」ということになるという。
今度は女の子を売る側の本音であり、女の子の気持ちなどこれっぽっちも尊重されない。
これに続くのは「あの子が欲しい あの子じゃわからん 相談しましょ そうしましょ」と歌は交互に歌われ、子どもたちはそれぞれのグループから一人ずつ子を差し出していくのだ。
自分がまさかこんな内容の歌を歌っていたとは知らなかったが、何か意味深な内容ではあるなと思っていた。
もう一つ、「通りゃんせ」を見てみよう。
歌詞は
通りゃんせ 通りゃんせ
ここはどこの 細道じゃ
天神さまの 細道じゃ
ちっと通して 下しゃんせ
御用のないもの 通しゃせぬ
この子の七つの お祝いに
お札を納めに まいります
行きはよいよい 帰りはこわい
こわいながらも通りゃんせ 通りゃんせ
「この子の七つのお祝いに」とあるので、一見、七五三のお祝いに神社を訪れたかのようだが、「行きはよいよい 帰りはこわい」とあり、親は子を連れて帰っていないことを連想させる。
結局、この子どもは口減らしのために神社に連れてこられたのであり、どこかの誰かが養子として引き取ってくれでもしたら大成功、と期待した歌ではないだろうか。
私たちは普通、童謡に隠された意味があることを知らないが、何か変だな、意味深な歌だなと思いつつ、隠された意味が放つ重層感だけは感じ取ることができると思うのだ。
ところで「赤いきつね」のCMが性的で不快だと指摘したのは、毎度のことながらフェミニストたちである。
しかしフェミニストが怪しからんとする、水着コンテストやミスコンテストに、自分に少々自信のある女なら、自らの意志で応募するし、自分にもっと自信のある女なら、女優やモデルに目標を定めるだろう。
そしてYouTubeでは、主に英語圏のごく普通の女の子が、肌や胸、お尻、時には大事な部分まで露出させる動画をアップしている。
たとえば「購入した服を着て見せる」(try on haul)という主旨のジャンルがある。
今回購入したのはこれとこれなどと、次々ドレスを着ては脱ぎ、着ては脱ぎを繰り返すが、着替えシーンにはモザイクがかかり、胸などはよく見えない。
しかし、着る服は例外なくスケスケ。
こんな服、いったい誰が、何を目的に製造しいるのだろうかと思うほどの非実用的な品だ。
一応服を着ているという点でYouTubeの基準をクリアーできるものの、胸も、ときには恥毛も、そして恥毛を剃っている場合にはくっきりとあの部分が見えてしまうようなスケスケ具合なのである。
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