□■□■【反骨の元外交官が世界と日本の真実をリアルタイム解説】 ■□■ □■ 天木直人のメールマガジン2013年4月19日第276号 ■ ============================================================== ネルソン・マンデラから教わった人権外交 ============================================================== サッチャー元英国首相の国葬なみの行事が行なわれた。 それを眺めながら私はアフリカ課長時代の一場面を思い出していた。 私はマンデラが獄中につながれていた時、その代行役を果たしていた南ア黒人解放組織のオリバー・タンボANC議長を日本に招待したことがあった。 テロ組織の親分を日本に呼んでいいのか、そう当時物議をかもした政策だった。 南アフリカ担当の課長になった私は、南アフリカ白人政権の黒人差別政策に反対し、南アフリカに対する厳しい経済制裁を取った。 後に総理になった宇野宗佑という政治家が通産大臣から外務大臣に横滑りした時であった。 経済制裁に反対する通産省の幹部が宇野宗佑外相のところへきて共産党のような事を言っているあのアフリカ課長を更迭してくれと言ってきたという。 その事を私の同期で、当時宇野宗佑外相の秘書官をやっていた宮本雄二が教えてくれた。 後に駐中国大使になったチャイナスクールの宮本雄二である。 天木、やり過ぎるな、通産省幹部が宇野外相のところへきてそんな事を言って帰ったぞと。 宮本とは69年に京大からともに外務省に入った仲だ。 因みにその年に京大から外務省に入った同期は宮本のほかに小泉首相の北朝鮮電撃訪問を仕掛けた田中均と、いま小和田雅子皇太子妃の世話をしている小町恭二の4人だった。 私は宮本秘書官の善意から出たその助言をありがたく受け取った。 しかしその後に発した彼の言葉が私と宮本の間に決定的な溝を作った。 もちろん宮本はそんなことは夢にも思っていないだろうが。 私がオリバー・タンボ議長を日本に招聘することについて彼はこう私に言ったのである。 お前の南ア政策はサッチャーやレーガンの了承を取り付けているのか? 当時サッチャー首相とレーガン大統領は南ア白人政権に融和的で南ア黒人解放組織をテロ呼ばわりする指導者だった。 特にサッチャー首相は南アの黒人抵抗運動を最も強く批判していた。 欧米との協調を第一とする日本外交にとってサッチャー首相やレーガン大統領と歩調を合わせない外交をとればどうなるかわかっているだろう、という意味だった。 宮本は同期の中でも親しくしていた仲だった。その同期からそういわれた私は寂しかった。宮本よ、お前までもか、という思いだった。 以来私と宮本の距離は離れていく。 宮本は出世街道を順調に歩み、私は危険人物の烙印を押される。 そんな昔話をサッチャー葬儀で思い出していた時に、偶然にもあるメディアからマンデラについて一言コメントが欲しいという。 追悼文には早すぎるけれど、マンデラもまたそのうち献辞が必要になる時がくる。その時のためにマンデラに関係があった各界の人たちに一言ずつコメントを貰っているからという。 マンデラに対する私の思いは一言のコメントでは語れない。だから私の思いを短い文章にするからそれを使って自由に書いてもらっていい。 そういって私は以下の文章をメールで送った。 その文章がいつ、どのような一口コメントになってメディアに登場するか私は知らない。 もし読者が何かの機会にマンデラに対する識者のコメントなるものを目にすることがあれば、私のコメントの趣旨はこの文章にあると思って読んでいただきたい。 マンデラと私 天木直人元駐レバノン大使、元外務省アフリカ第二課長 私がマンデラという政治家の存在を知ったのはアフリカ課長として南アフリカのアパルトヘイト問題に取り組んだ時だった(1985年―88年)。当時南アフリカの情勢は白人政権の弾圧とそれに対する黒人の抵抗の悪循環の真っ只中にあった。獄中にあるマンデラを解放すれば黒人の民主化運動が一気に高まり白人政権は倒される。かといってマンデラをそのまま獄中死させてしまえば黒人たちの大暴動が起きる。そんな苦境に白人政権を追い込むカリスマ政治家のマンデラに是非一度会ってみたいと思っていたが獄中につながれているマンデラに在任中に会える事は叶わなかった。 その後国際世論の高まりにおされ南アフリカ政府はマンデラを釈放した。解放されたマンデラは直ちに活動を開始し、南アフリカの民主選挙の実現と黒人政権樹立を訴えて世界を駆け巡った。そしてそのマンデラがマレーシアを訪問した時、当時マレーシアの日本大使館に転勤していた私はホテルにマンデラ訪れ、二人だけで話す機会を得た(1990年)。かつて私が日本に招待したオリバー・タンボANC議長がこう言った。マンデラが獄中から解放されるような時がくれば必ず会うがいい。その時は私と一緒に撮った写真を護衛官に見せるがいい。かならず会わせてくれる。この事言葉とその時タンボと一緒にとった写真を私は離さなかった。そしてその通りになったのだ。 私はマンデラと二人だけで面談した時、彼に直言した。いたずらに白人政権と敵対することなく、国際世論を味方につけ、世界が歓迎する中で黒人政権を実現して欲しい、と。マンデラを前にして、いまから思えばなんと大それた助言であったと赤面の至りだが、マンデラは笑みを浮かべながらそれに耳を傾けてくれた。この時が私にとって最初で最後のマンデラとの面談であった。 それから更に年月がたって、ついにマンデラが選挙に勝って南アフリカ初の黒人大統領に選ばれたニュースを私は在豪州日本大使館の執務室のテレビで眺めた(1994年5月)。 私がマンデラから学んだものは「人権外交」は「国益追求外交」にまさるという事である。すなわち国益を優先するあまり人権を軽視する外交は長い目で見て破綻するという教訓である。以来この教えが私の外交の原点となった。 残念ながら世界は「人権外交」が軽視され、「国益追求外交」が大手を振っている。パレスチナ紛争もテロとの戦いも、北朝鮮情勢も、つまるところは各国が人権よりも国益を優先するためにもたらされた混迷である。そのような時私は思う。もしマンデラがいたらどのように解決を試みただろうかと。 もちろんマンデラとても万能ではない。南アフリカはマンデラが大統領になったからといって直ちに諸問題が解決したわけではない。マンデラ一人で世界の紛争がなくなるはずもない。 しかし私にとってのマンデラは、人権を何よりも優先し、不撓不屈の精神で権力の不正に抗ったあの時のマンデラだ。世界の指導者たちがあの時のマンデラのようであれば世界は間違いなく今よりも良い世界になっているだろう。混迷の今こそマンデラの後に続く指導者が出現してくる事を願うばかりである。 ──────────────────────────────── 購読・配信・課金などのお問合せやトラブルは、 メルマガ配信会社フーミー info@foomii.com までご連絡ください。 ──────────────────────────────── 編集・発行:天木直人 ウェブサイト:http://www.amakiblog.com/ 登録/配信中止はこちら:https://foomii.com/mypage/ ━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━

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